炊き込みご飯に失敗した土曜日の話

 

 結局、炊き込みご飯が炊き上がることはなかった。

 再度炊飯ボタンを押して一時間弱、出来上がったのは上は半生、下はべちゃべちゃの色付き米で、残念ながら到底食えたものではなかった。僕は三合分の米と炊き込みご飯の素を全てゴミ箱の中にひっくり返した。ゴミ箱の中からは炊き込みご飯に近しい香りが未だに漂ってきており、僕をどうしようもなく不安定な気持ちにさせる。

「あらゆる失敗は、起こるべくして起こるものだ」とは確か母が言った言葉だったと思う。それは失敗してしまった原因を追究して必ず改善に繋げなさい、などといった会社の上司じみた意味合いではなく、むしろ失敗してしまったことはもう割り切りなさい。その失敗がやがて何かの糧となるかもしれないのだから、といった意味合いを持っており、幼少のころから粗忽物でミスや失敗を繰り返してばかりいた僕を慰める文脈で使われていた。

 尤も、炊き込みご飯の失敗が、どのようにして僕の糧となるのかは想像もつかない。

 

 今日を振り返る。

 昨晩の酒が残していった気怠さと一緒に布団にくるまってだらだらと眠り、その後何とか体を起こしてジムに行き、適度に距離を泳いで体を温めるようなメニューをこなした。それからはお気に入りのカフェに行き、カレーとコーヒーを注文した。セットに付くサラダに紫色のキュウリのような得体のしれない野菜が入っており、僕はそれを長らく「謎野菜」と呼んでいたのだが、昨日の飲み会でこれが赤かぶというものだということを知った。正体を知ってからも赤かぶの味は買わなかった。食後のコーヒーを飲みながら、半分ほど読み残していた筒井康隆のパプリカを読んだ。

 帰り際にスーパーに寄って、晩御飯のおかずと、炊き込みご飯のもとと、平日の朝御飯となるバナナを買った。バナナは一房49円で売られていた。余りの安さに、フィリピンの経済事情が少し心配になったが、すぐに忘れた。

 帰寮して、洗濯機を回したり、ウォークマンのプレイリストを編集したり、うたたねしたりしている間に日はすっかり暮れていた。僕は炊き込みご飯の素を混ぜた米を炊飯器に投入し、村上春樹1973年のピンボールを読んだ。3号も炊き込みご飯を炊こうとしたのは、明日ジムのプールで記録会があるからで、炭水化物を多めに補給しておきたいと思ったからだ。一度炊き込みご飯の失敗が判明し、再度炊き込みに挑戦している間に、1973年のピンボールは読み終えてしまった。炊き込みご飯は先述の通り、結局のところ失敗に終わり、僕は仕方なくレトルトのご飯を温め、インスタントの味噌汁を淹れ、興味本位で買ったナマコとめかぶを混ぜてポン酢とわさびで和え、夕飯とした。レトルトのご飯は少し味気なかった。

 今日はこれから風呂に入って、安い発泡酒を飲みながら適当に眠ることになるだろう。先日の合コンで連絡先を交換したあの子からの返信はまだ来ない。僕の土曜日は大概こうして過ぎていく。

 変化があるのは、炊き込みご飯が失敗するかどうかくらいだ。

真ん中の席から順に座ってほしい話

 大きめの会場で、講演を聞く機会が今日あったんですよ。

 その時、椅子がこう↓並んでたんですよね。

 

  _ _ _ _ _ _ _ _ 

 

 横並びになった椅子がずらっと会場に並んでいて。こんな状態で「さあご自由にお座りください」と案内されるわけですよ。

 そういうときって、皆こんな感じ↓で座っていくんですよね。

 

  人 人 _ _ _ _ _ 人

 

 俺、これが大っ嫌いで。いや、後から訪れた人たちが中に入らなくちゃならない、という事態になる可能性が高いじゃないですか。そんな時にこうやって端から埋めてたらもう以下のように入りにくくなることなんてもう分かりきってると思うんですよね。

           人=3<スミマセン...
  人 人 _ _ _ _ _ 人

 

 もう最初から真ん中の方に座っとれや!!

 

 いや、分かってはいるんですよ。人間にはパーソナルスペースが存在します。なるべくなら他人とある程度の距離を保った状態で座りたくなるのは当然のことです。要するに人間の間にはある程度の反発力が働くわけですよね。

 俺だって男性用小便器がこう↓なってたら

 

  _ _ 人 _ 人

 

 こう↓しますし、

 

  俺 _ 人 _ 人

 

  もしこう↓なってたら、

 

  _ 人 _ _ 人

 

 それはもうこう↓なりますもん。

        俺<オオキイホウニシヨ...  

  _ 人 _ _ 人

 

 そういうわけで、人間には端の席から座っていくという習性がある、それを認めたうえで、なんとかして講堂の席を真ん中から埋めていってもらう手法を考えたいと思います。人間の間に反発力が働くのなら、それを解消するためには以下の2パターンが考えられます。

 

 ①より強い吸引力で真ん中に引き寄せる

 ②より強い反発力で両側から押し付ける

 

 前者の案から検討してみましょう。つまりは真ん中に人間を惹きつけるようなものを置けばいいということなので、試しになにか魅力的なものを置いてみることにしましょう。

 

  _ _ _ 五億  _ _ _

 

 真ん中に置いた五億円に欲深き人間どもが群がること必須です。しかし欠点として、五億円が早期に奪われてなくなってしまうであろうことと、投資額があまりにも大きすぎることが挙げられますね。この案は失敗です。

 他のものではどうでしょうか?

 

  _ _ _ 子猫 _ _ _ 

 

 これはいいですね。人懐っこい子猫はかなり人間を惹きつけますし、五億円ほど値が張りません。こう↓なる期待が持てます。

 

  _ 人 人 子猫 人 人 _

 

 しかし子猫がとても可愛かった場合、正直言ってもう講演がどうでもよくなってくるおそれがあります。子猫は人を癒しますが大概の講演は人を疲弊させます。もう話なんて聞かずに子猫ばかり愛でていよう、聴衆がそう考える可能性は否めません。その点を考慮すればあまり猫好きではない聴衆を選んで子猫を導入するしかなさそうですが、しかし猫嫌いの聴衆に子猫を与えたところで子猫の吸引力が本領を発揮しません。子猫を座席の真ん中に設置する場合は、聴衆の猫好き度をある程度正確に把握しておく必要があるといえるでしょう。あと子猫が勝手に移動しないような工夫も必要でしょうね。椅子に頑丈な鎖で縛りつけるとか。

 

 後者の、より強力な反発力で両側から押さえつけるというのはどうでしょうか?

 例を挙げればこう↓ですね。

 

  鬼 _ _ _ _ _ _ _ _ 鬼

 

 座席の両側から鬼が見張っています。こっわ。

 ここに座れと言われた際に、両端から座っていく無謀な輩はそういないでしょう。まず間違いなく真ん中から座っていくこととなるに違いありません。

     コワイヨー   ヒィィィ
  鬼 _ _ 人 人 人 人 _ _鬼

 

 まあ問題点としては、鬼が監視に立っているような講演会があるとして、それはもうちっともまったく参加したくないっていうことですね。鬼を監視業務に従えている時点で多分講演者は閻魔大王とかそのクラスですもん。なにか愉快な話が聞けるとはとてもとても思いません。講演案内を読むことすら辞退したいレベルです。

 

 さて、講演の際に真ん中から詰めて座ってもらう方法について、いろいろ考えてみましたが、そろそろ飽きてきたのでおしまいにしようと思います。皆さまも講演の際に「真ん中からすわらんかいこの薄らハゲども」という気持ちに襲われたときは、真ん中に五億円や子猫を置いたり、両端に鬼を置いたりして工夫してみてください。なお、実行された場合の損害に対しては当方は責任を負いかねます。

 それでは以上です。解散。

 

お痒いところを伝えられない話

 どこかお痒いところはございませんか、と美容師さんにそう聞かれる度に、僕は「いえ、大丈夫です」と答える。実際に大丈夫で、僕の頭に痒いところは一つもない。

 痒いところがあります、そう答える人がいるのだろうか? 頭部のどこかしらかに痒いところがあり、そこを美容師に掻いてもらいたいと願う人。僕はいまだにお目にかかったことがない。

 僕は想像する。お痒いところがある場合を。美容師の頭が僕の髪の毛を優しくはい回り、泡まみれにしている。それはとても心地が良いのだが、しかし頭の一部に妙な違和感がある。むずむずとする、小さな羽虫がそこに止まっているような、嫌な感覚。微かなものでもいいから、そこに刺激を与えたいと、僕はそう願ってしまう。刺激を欲するだけの哀れな家畜である。

 そこで折よく美容師が尋ねる。

「どこか痒いところはありませんか?」

 はい、あります。僕はそう答えようとするだろう。しかしここからが問題だ。

 僕は、自分の頭の痒む部分を、正確に相手に伝えきる自信がない。

 考えてみてほしい。僕の両手は胸の上で白いタオルに覆われており、指で場所を指し示すことはできない。美容師さんに痒い場所を伝えるために使用できる手段は言葉だけである。しかし僕に頭のとある一か所をピンポイントで描写するほどの語彙力が備わっているだろうか?

 きっとこうなってしまうことだろう。

「あの・・・・・・痒い場所があります・・・・・・」

「どこが痒いの?」

「頭の後ろの方の・・・・・・ちょっと右側の・・・・・・」

「もっとちゃんと言ってくれないとわからないよ、ここかな?」

「違います、あの、もっと右の後ろ・・・・・・!」

「ここ?」

「あっ! そこです・・・・・・!」

「こうしたら気持ちいいの?」

「気持ちいい・・・・・・!」

「ここ、なんて言うの?」

「わかりません・・・・・!!」

「わからないことはないでしょ、ちゃんと言ってみてよ」

「ほんとにわからないんです・・・・・・!!」

「右耳介部後方(みぎじかいぶこうほう)とすらも言えないなんて、恥ずかしい語彙力だな!!」

「そうです、私は恥ずかしい語彙力しか持ち合わせていない卑しい豚です~!!」

 

 はい。

 現実の僕は全然頭が痒くなかったので、さっぱりと泡を洗い流してしまって、軽やかなソフトモヒカンを頭頂に携え、2160円を払ってから店を颯爽と後にしました。

 頭が痒みにくい体質で良かったなあ。

セーブポイントでシュミテクトを補給する話

 人生におけるセーブポイントがあるとしたら、それはやはり実家なのだろうと思う。

 たまに実家に帰るたび、実感するのだ。ここ以上に僕を安心させてくれる場所は見つからない。一晩きりの滞在であったとしても、僕は実家で眠ることによって何かを補給している。日々の生活で目減りした精神的なそれを、僕は実家で回復させているのだ。

 この時のイメージとして、僕の脳内ではセーブポイントがくるくる回っている。セーブポイントセーブポイントらしくあればそれでいい。球体だったり幾何学的なオブジェだったりするが、大概の場合それはくるくる回りながら光っている。昨今の優しいゲームにありがちな、触れるだけで体力など諸々を回復してくれる親切なタイプである。僕の実家はくるくる回りながら光っている。僕はそれに軽く触れて、画面上側に表示されているゲージを満タンまで補給する。

 一体何によって僕はこうまで回復しているのだろう、その理由について考えてみたが、僕が実家に帰るたびに補給しているものは一つしかない。それがシュミテクトである。なぜかうちの洗面台にはシュミテクトが山積みになっているので、実家から自宅へと戻る際には適当な本数をわしづかんでリュックに放り込むのが恒例となっている。一応解説しておくがシュミテクトとは歯磨き粉の一種であり、知覚過敏に効果的であることから根強い人気を誇っている。その名前からも歯がしみるのをプロテクトしてくれるであろうことがありありと伝わってくる。

 思えば、いつだってシュミテクトは僕とともにいてくれた。実家から泡盛を持って帰ったことも、アマノフーズのインスタント味噌汁を持って帰ったことも、親父手作りの食べるラー油を持って帰ったこともあったが、それらは全てたった一度きりのイベントだった。そしてそんな大物がカバンのスペースを埋めている時でさえ、シュミテクトは必ず片隅に収まっていた。

 僕は実家というセーブポイントで、シュミテクトを補給していたのだ。僕がパラメーターとして備えている精神的な何かのゲージは、実のところシュミテクトで埋められている。僕の精神はシュミテクトでできている。きっと、冷たいものを浴びせられたとしてもあまりしみないのだろう。

蕁麻疹の話

 まあこれが痒いのだ。蕁麻疹。19時から20時頃になるとぽつぽつと腕や腰回り、首の裏に表れ始め、痒い。時間が経つと少しずつ増えていくために痒く、酷いときは増えた蕁麻疹が連なって巨大な蕁麻疹となり、結果痒い。

 最近これが毎晩で痒くてどうしようもないので、無理やり眠ることにしている。寝て起きたら、たいていの場合治まっている。どういうわけだか僕の蕁麻疹は夜行性だ。家で一人でいるばかりにやたらと暴れて痒い。僕はこれを「夜アレルギーになった」だの「自宅アレルギーになった」だの「生活アレルギーになった」だのと愉快がっていたのだが、周りの反応を見るにどうやらこれはあまり面白くないようであり、ただただ痒いばかりである。

 寝て起きたら治まっている。これ、本当だろうか? 身体に現れた蕁麻疹は僕が眠っている間にもその数を増やしていき、繋がっていき、僕の身体をくまなく覆っていく。僕が目を覚ました時、実は蕁麻疹は治まってなどおらず、ひとつなぎの蕁麻疹となっているかもしれない。ワンピース。全身が均一に腫れている場合、それは全身がちっとも腫れていない上体ともはや区別がつかない。どこも膨らまずどこも凹まず、僕は蕁麻疹に包まれたまま生活しているおそれがある。

 で、毎晩蕁麻疹を発症させているということは、毎晩少しずつ僕が膨張しているということになる。正しくは僕の蕁麻疹が。僕の表面を覆っていた蕁麻疹は等比級数的にその体積を増やしていき、いずれ僕は完全に包まれて、一つの巨大な蕁麻疹となってしまうのだろう。ただ痒みを感じるだけの肉塊。惨すぎる。「新世界より」のスクィーラかよ。

 肉塊になるのは嫌だ、と泣きながら風呂に入ってシーブリーズのボディーソープで身体をがっしがっし洗ったら、なんか蕁麻疹も治まってきたし痒みもなくなってきた。なのでこうして余裕をぶっこいてブログなんぞを書くことができる。つまり、シーブリーズは最高。今日の記事の概要はそういうことだ。

ゴルフに嫌々行く話

 ゴルフは社交の手段であり社会人として身に付けておいて当然の教養である、とそういった考え方は未だに深く根付いているらしく、俺も来週開催される社内ゴルフコンペへの参加が半ば強制的に決まった次第である。

 全く気乗りしていない。何を隠そう、あまりゴルフが好きではないのだ。半年くらい前に上司から頂戴したゴルフクラブ素振りトレーニング器具は玄関の片隅に鎮座している。一見暴漢が侵入したときに警棒代わりに使えそうだが、しかしこのゴルフクラブ素振りトレーニング器具、家の中で振り回しで家具やら家人やらをうっかり破壊することがないようにとの気配りにより先端が柔らかなクッションで包まれているため武器としての価値は限りなくゼロであり、現在のところ気が向いたときに握って振れるだけの奇怪なオブジェである。

 ゴルフの何が気に食わないって、まずスポーツとしてのコスパが悪い。これが気に食わなさのおよそ二割を占める。一万円近い料金を要求する割にやることといえば、棒を振って移動する、これのみである。腕と足の裏にばかり負担がかかる。水泳を見習え。身体にかかる負荷のバランスの良さから、コスパランキングは堂々の第二位だ。第一位はジョギング。無料は強い。

 残りの八割は、俺が球技が苦手であるという、それに尽きる。棒を振って球に当てて狙った方向に飛ばすなんて、奇跡が何回必要なんだよ。

 従って俺には全くやる気がなく、コンペ参戦が決まってからもちっとも練習していない。半年近くゴルフクラブを握っていない。ここまで間が空くと逆にうまくなってるんじゃないかと思う。

 そんな俺に、うちのチームリーダーが声をかけてきた。

 リーダー「○○くん、ゴルフコンペのための練習会を開催しようと思うんだけど」

 ぼく「喜んで参加します! いやちょうど練習せなあかんなと思ってたところなんですよ! まだまだ下手くそなんで迷惑かけるかもしれませんけれど、是非是非勉強させてください! 楽しみだなー!」

 権力に弱い自分が憎い。

 

 で、今朝から行ってました。ゴルフに。

 直前になってすらもやる気がない。どんだけやる気がないかって、財布の中に1200円しか入っていないことがそれを裏付けている。打ちっぱなしですら払えるか微妙な金額である。さすがにまずいので、コンビニに立ち寄ってコーヒーを買ったりお金を下したりすることにした。

 近所のコンビニに車を停め、まずコーヒーを注文しようとレジの前に立つと、真横にあるドーナツの棚が目に入った。

 ドーナツ。俺はドーナツが結構好きなのだ。学生時代はテスト勉強のためにミスドに籠り、チョコオールドファッションを食ったりしていた。テスト勉強なぞチョコオールドファッションを食うための口実に過ぎなかった。チョコオールドファッション狂いである。

 そんなファッションモンスターであった過去を思い出したので、自分を奮い立たせるためにドーナツを注文することにした。しかしここでまたチョコオールドファッションを頼むのも芸がない。俺は日々変化し成長しているのだということを、ドーナツ選びはじめとする日常の些事から、俺はもっとアピールしていかなければならない。

 他に何かないかなと視線をさまよわせたところ、ココア風の生地にシナモンがかかった美味しそうなドーナツを見つけた。こいつにしようと商品を指さそうとして俺は気付く。商品名が

 『黒ねこココアドーナツ(ホイップクリーム入り)』

 これである。責任者出てこい。

 25歳男性がココアドーナツを食べたくなるケースを想像できなかったのか。黒ねこ。何故ファンシー成分を付け加えた。黒ねこである必要はなかったろうが。「ねこ」がわざわざでひらがなで書かれているところがまた腹立たしい。

 正直なところ、恥ずかしい。俺は平常心を保ったまま「黒ねこココアドーナツ(ホイップクリーム入り)ください」と言うための精神訓練を受けていない。しかし口の中はもう完全にココアドーナツの味になっている。なんなら「コーヒーと、あと……」と言ってドーナツの棚を指さす段階まで既に入っている。ここから手を引っ込めるわけにはいかない。

 まったく今日は災難だ。ゴルフに行くのだけでも億劫なのに、まさかドーナツを注文する段階でこのような試練が待ち受けているとは思わなかった。世間は25歳独身男性に厳しい。

 どうする。黒ねこを省略して「ココアドーナツ」と注文すべきか。しかしその場合(うわ、この人黒ねこっていうのが恥ずかしいんだ……)と目の前に立つバイトリーダーっぽい兄ちゃんに内心見下される事態を避けては通れない。それは避けねばならない。このセブンイレブンは最寄りのコンビニであり、最寄りのコンビニのバイトリーダーに見下された場合、最寄りのコンビニに来るたびに俺はちっぽけな劣等感を抱えなければならないことになる。

 例えばちょっと切手を買いに来る。レジにいるバイトリーダーに声をかけなければ切手は買えない。もちろんバイトリーダーは終始にこやかに対応してくれるが、心の中では(こいつ黒ねこココアドーナツもまともに注文できないくせに、切手は注文するのかよ……)と嘲笑の嵐である。俺は震える手で切手を受け取り、震える足で家まで駆け戻り、布団にくるまって悔しさに震えながら泣くのだ。

 そんな未来は断ち切らねばならない。俺は決めた。俺は黒ねこココアドーナツ(ホイップクリーム入り)を注文するのだ。25歳男性彼女なしにだって、その権利はある。照れてはならない。堂々と注文するのだ。恥ずかしいことなど、本当は一つもないのだから。

 

 ぼく「黒ねこココアドーナツください」

 バイトリーダー「は~~~~~い!! 黒ねこ一丁~~~~~~~~~!!!!」

 

 完全に負けた。黒ねこがどうとかファンシーがどうとか悩んでいるこっちが愚かだった。バイトリーダーはあくまでも職務に忠実であった。そこには25歳男性合コン連敗中に対する侮蔑など一切なく、ただ黒ねこココアドーナツ(ホイップクリーム入り)を望む客に黒ねこココアドーナツ(ホイップクリーム入り)を届ける、正しきバイト戦士の姿があった。たかが黒ねこココアドーナツ(ホイップクリーム入り)という商品名に一抹の恥ずかしさを感じていた俺のなんと矮小なことか。

 俺は平然としたふりをしながら会計を済ませ、商品を受け取り、車に戻り、悔しさに涙しながら黒ねこココアドーナツ(ホイップクリーム入り)を食べた。何故か少ししょっぱく、ほろ苦い味がした。

 

 久しぶりのゴルフは前回のスコアを一割も上回る大健闘でした。

 あとお金下ろし忘れてたので先輩に一万円借りました。

ひらがなを投げる話

 ひらがなの「く」を投げたいと考えたことの一度や二度くらい、誰にとってもあることでしょう。投げた後の軌道が簡単に想像できる。くるくると回りながら手元に戻ってきて、きっと楽しい。何故ならば「く」、見た目がほぼほぼブーメラン*1である。同様の理由で「へ」も投げたい。この二つは投げたいひらがなランキング不動のツートップだろう。
 あと「し」や「つ」も結構戻ってくるだろうし、鋭い鉤爪がついていてより殺傷力が高そうである。刃のブーメラン*2である。投げたい。「も」に至ってはもう敵をズタズタに引き裂いてしまうであろうことが想像に難くない。攻撃力は最強クラス。つまりは炎のブーメラン*3である。めっちゃ投げたい。

 *1:投擲武器の一種。アボリジニが狩猟用として用いていたことで有名。紀元前のアッシリアでは兵士の標準装備とされていた。なお、投げても戻ってこないものは「カーリー」と呼ばれており、ブーメランとは区別されるべきである。ドラクエでは敵全体にダメージを与えることができるので、強い。
 *2:どうやってキャッチしているのだろうか。
 *3:どうやってキャッチしているのだろうか。

  さてこのようにひらがな投げたい界隈の中では「く」や「へ」や「し」や「つ」ばかりがちやほやされるわけですが、実際のところブーメランが戻ってくるのに大事なのは上から見たときの形状ではなく断面の形状であることは、ブーメラン運動に必要なのが揚力であり、揚力のトルクが角運動量をなんちゃらかんちゃらして回転面が進行方向にどうにかこうにかすればよいという簡単な力学より分かります。要するに、意外や意外、別に「く」や「へ」だけではなく、投げようによっては「あ」も「ぬ」も「れ」も全部戻ってくるらしい。

 そこで魔が差した僕、おもむろに「な」を手に取る。「やめろって!」とひらがな投げ仲間の友人が制止してくる。「それに関しては戻ってくるとかこないとかじゃないって!」

 うるせーやーい、と僕は手首のスナップをきかせ、「な」を勢いよく空中に放り投げる。一瞬で「な」はバラバラになり、突如吹いた強風に煽られてどこかへと消えていく。この瞬間、「な」はこの世界から失われてしまったのだ。僕がひらがなを投げたい欲求を抑えきれなかったばかりに。

 「なんてことをしてしまったんだ……」と僕は自分のしでかした悪行を反省するがもう遅い。「な」は既に失われてしまったので、先ほどの反省も「 んてことをしてしまったんだ……」になっている。何かがおかしいことに気付いた人たちが「なんだなんだ」と騒ぎ始めるが、これも「な」が失われているせいで「 んだ んだ」となり、田舎者が大量発生する結果となる。

 慌てて僕は四散した「な」の欠片を拾い集めに駆け出すが、先ほどの強風のせいでどこへ行ったか分からない。汗まみれの泥だらけになってようやく「な」の下の部分を見つけたと思ったらそれは野生の「ょ」だったので僕は「ょ」を思い切り蹴り飛ばす。「ょ」は泣き声を上げて逃げていく。

 「な」をもう一度作り出そうとしても、もうその姿が思い出せない。僕はペンを投げ捨てて白い紙をグシャグシャに丸め、「きみのなまえは……っ!」と慟哭するが、それもやはり「な」が失われてしまっているせいで「君の前は」になっているのでさっぱり意味が通らない。

 こうして僕は「な」を探しながら生きていくことになる。「な」の面影を、僕は常に追い求めている。向かいのホーム。路地裏の窓。こんなとこにいるはずもないのに。

 「な」と再会できぬまま、僕は年老いていく。もう何を探していたのかすらもおぼろげな記憶となってしまったが、妙な空虚さが胸のうちから離れてくれないのだ。この心の穴を埋めてくれる形を、僕は死ぬまで探し続けるのだろう。

 

 それからというもの人類は「な」の無い世界の中で暮らしています。「な」は「は」や「ま」などで代用して、何とかうまくやっているそうです。

 それでも50音表の中で不自然に空いた「 にぬねの」の行を見るたびに、人々は何故だか胸が締め付けられるような気持ちがするのです。

 

 

○参考文献

1.「力学」青山秀明、2008、学術図書出版社

2.「ドラゴンクエストV 天空の花嫁 公式ガイドブック 下巻 知識編」1992、エニックス

3.「one more time, one more chance山崎まさよし、1997、ポリドール・レコード

4.


「君の名は。」予告

5.


【お笑い・コント】バカリズム「順位に関する案」