窓を拭く才能がない話

 友人を乗せて車を走らせていた。豪雨だった。フロントガラスには際限なく雨粒が打ち付け、車のワイパーは忙しなく左右に揺れ続けていた。

 友人は「前が見えない」と呟いた。

 僕は応えた。

「前が見えない。なるほど、確かにそれは言い得て妙だ。僕らは前が見えない。僕らが生まれる前に日本全体を覆っていたらしい全体的向上感ーーこれは経済指数などの定量的なものに限らず、確実に社会が進歩、成長しているという感覚的な確信をも含めるのだがーー僕らはそういった感覚が失われた時代に生まれ、育っている。高齢化、年金問題ワーキングプア、過労死、苛めに虐待。僕らは【社会は僕らを乗せて前進していくものではなく、隙あらば人を叩き落とそうとする魔物なのだ】と教わってきた。そんな不穏な、不安な、不安定な、不透明な雰囲気の中で僕らは育ってきたのだ。僕らの前に未来が見えるだろうか? 僕にはぼんやりと灰色がかった霧のような光景しか見えないね。付け加えるならば、さらに9.11に3.11、そんな人的および自然的な災害が、親切にも僕らに、社会という昨今形成されたコミュニティが、全くもって絶対的なものではないことを教えてくれている。保証はないんだぜ? 僕らがこうやって、明日も呑気に無駄口を叩いていられる保証なんて、何処にもね。【前が見えない】。はっ! 全くその通りだ。僕らにはちっとも前が見えないんだ」

「いや、お前の車、全然撥水せえへんから前が見えへん」

 

 なんか黄色いので油膜を落とした後に、なんか赤いのとかでワックスをかけるといい、そう友人が教えてくれた。

 そんな曖昧な指示でわかるかよ、と近所のイエローハットに向かうと、そこには「キイロビン」という油膜落とし商品があった。そのままだった。赤いのはガラコとかいう名前だった。二つを握りしめ、レジに向かい、車検で得た大量のポイントを利用して会計を済ませた。24円足りなかった。もうそれマケてくれても良くない?

 炎天下に晒されながら、寮の駐車場でフロントガラスを磨いた。中心部を磨くべく身を乗り出すと、車のボンネットが僕の下腹部を焼いた。「あかん、このままやとミディアムレアリブロースステーキになってまう」と呟いた。カラスがカーと鳴いた。恐らく「そんな上等なもんやないやろ」という突っ込みだったのだろう。

 なんとかミディアムレアになる前に車の窓を磨き終えた。目に見える汚れがなくなったフロントガラスを見て、僕はご満悦だった。こんなに満ち足りたのは1024とかいうゲームで4096まで作り上げたとき以来だった。

 そして昨日だ。唐突に雨が降った。これは撥水効果を確認すべきときがきたと、浮き足だって僕は車に乗り込んだ。

 

 見事にムラだらけだった。

 

 僕は泣いた。それは号泣と言っても、慟哭と呼んでも良い有り様だったろう。

 ワイパーが動く度にフロントガラスのムラは明瞭に見えた。それは僕の無能さを示す証しだった。窓ひとつ満足に拭き終えることが出来ない僕に、見るべき【前】など初めからなかったのかもしれない。

 せめてミディアムレアリブロースステーキになる覚悟さえあったなら、と僕は後悔した。人はミディアムレアリブロースステーキになったぐらいでは死なない。ミディアムレアリブロースステーキになっても、誇り高く生きている人たちを僕は何人も知っている。人が本当に死ぬのは、誇りを失った時だ。つまり、今の僕だ。

 ハンドルに突っ伏して嗚咽を漏らし、しゃくりあげていると、唐突に後輩からLINEが来た。

「先輩、飯食いに行きましょう」

「聞いてくれ、僕は先輩と呼ばれる価値のない人間だし、君と一緒に飯を食うことで、君や、あるいは飯の価値すらも一緒になくしてしまいかねない人間なんだ。僕は窓をちゃんと拭くことすらできないんだよ。この意味が分かるかい? 存在自体が一種の罪なんだ。僕は今まで生きてきた中で、無自覚のうちに綺麗に拭き終えられていない窓をいくつも生み出して来たに違いない。そうやって、窓を曇りだらけにして、見通しの悪い社会を作り上げてきたのは、他ならぬ僕なんだ。はは。笑ってくれ。前が見えないのを社会のせいにしたりして。その実、前が見えない原因を作ってきたのは僕なのにな。さあ、もうわかったろう。僕などに関わらず、君は好きに飯を食いにいくがいい。さもなければ、いずれ僕は、君が心のうちに持っている窓すらも曇らせてしまうことだろう」

「意味分からないです。それより焼肉食いに行きましょう」

 

 そんなわけで、後輩たちと焼肉を食べに行った。

 任天堂switchを買うための虎の子の諭吉が飛んでいった。

眠れない夜の話

 ハロー。

 のっけから挨拶を間違っています。時間的に。

 久しぶりにFacebookを覗いてみたら、あそこは色々なもので満ち満ちていますね。各々の生活、日常、意見、娯楽、未来。目眩がします。そこに詰められた情報の多さに、処理能力が追い付かずに。

 彼らの所属する場所の常識。あるいは、彼らに見えている世界の断片。そういったものであると思うのです。SNS上でシェアされているものは。ひゅー。みんなちゃんと生き抜いているみたいですよ。そこに対する正しい姿勢として、受け手側に求められるのは、多分誠実な理解とかではないんでしょうね。ただの認知と許容なんだと思います。「へー」。ただそれだけ。「そんな生活があるんだなー」って。決して彼らの状況を正確に理解しようとした上で自分と対比しようとなんかしちゃあいけないぜ。人目に付くように置かれたものは綺麗に設えられているもの。だから彼らにもあるはずなのです。僕が、僕らが埋没しているこの日常のような。擦りきれた仕事着、ふらふらと歩く道のり、静かなワンルーム、一向に減らない録画と積ん読。なあ、そうなんだよな? そうだと言ってくれよ。

 要するに、自分の所属する場所における「当たり前」。それに自然と馴染むことができる、というのはこの上ない幸福だと思うわけです。自分が「ずれている」と言うことを思い知らされながら生活するのは、これはあまり楽しいことではありませんからね。

 

 なんの話をしようとしてたっけ。

 

 眠れない夜の話。

 あるいは、山積みになった洗濯物の話。

 あるいは、奮発したのに首に合わない安眠枕の話。

 あるいは、効きの悪いエアコンの話。

 

 俺の世界の断片とは?

 

 こんな夜、思い返すのはどうしても、昔のことです。

 ブールサイド。塩素の香り。生温い水。

 教室の机。○のついたテスト。休み時間の喧騒。

 淀川の花火。

 高校の最後の大会、50メートルプールを、たった四人で独占して泳いだ、あの最も自由だった一瞬について。

 

 今はすっかり細部の曖昧になった記憶の断片を、俺はビー玉をこねくり回すかのように弄びます。

 かつての俺は、もっと瞬間的に生きていたはずだ。

 現在進行形で流れている時間に、もっとしっかり、地に足を着けて立っていたはずなのに。

 

 なんかどうやら、また立ち位置を失いそうになっているようてす。

 

 久しぶりに「クビキリサイクル」を引っ張り出して、少し読んでみました。かつてはいーちゃんより年下だった俺も、今ではもう彼が「大人」と読んだ人たちと同年代です。

 世知辛いね。

 

 serph。そんなミュージャンがいますが、脳の皺に入り込んでとろかすような音を聴かせてくれるので、好きです。

 

 知ってるかい?

 伝わらない文章には、その時点で価値がないんだぜ。

一人前になった証としてマットレスを買う話

 社会人になって三年目となった。社会人三年目ともなると、さすがに焦りが出てくる。私は未だに自分のことを未熟な若輩者であると思っているし、なんなら会社内を歩く時も「若輩者ですけど~?」みたいな面をして歩いている。「若輩者なんですけど~~??」みたいな面を。若輩者面をしている。くだらねえと呟いて、若輩者面して歩く。あまりに若輩者であるという自覚が強すぎるので、電話を取る際も「はい若輩者です!」と言いそうになる。会議で発言するときも「若輩者が斯様な出過ぎた真似をして心苦しいのですが……」といった雰囲気を言外に漂わせている。最近は若輩者じみるのにもこなれてたので「若輩でサーセンっす」みたいな雰囲気になってきている。「じゃーセンっす」みたいにすらなってる。そういえば「最近お前調子に乗ってない?」とこの前先輩に言われたが、思い至る節が全くない。

 話を戻す。三年目になったということで、そろそろ若輩者を脱するべき時期がきたのであろうと私は考えた。若輩者を脱し、一人の社会人として、自分の両の足で真っすぐと社会に立つべき時期がきたのだと。

 一人前の社会人たる条件とはなんなのだろうか? 昨日、火曜日は休みを頂戴していたので、私はじっくり考えてみることにした。月曜の夜、翌日が休みなことに浮かれて買いだめしたウィスキーをジャバジャバ飲み、布団の横に積んだ漫画を適当に読み散らかして夜更かしし、二度寝三度寝を繰り返して昼過ぎに目覚めてカップラーメンをすすりながら、私は自分が一人前の社会人になるために必要なものを考えてみた。

 成熟した大人は、やはり己が力で己の生活を成り立たせられるべきである。しかし、なんとか生活ができる、その段階で止まってしまっては、その人の成熟度はそこで成長を止めてしまう。それで満足か? 生活を成り立たせたうえで、余力を持って生活の改善に臨み、更なる余力を得て更なる生活の向上を図る、そのような正の連鎖、成熟スパイラルに自己を置くことがより大いなる成熟へと向かう道なのではないだろうか。私は成熟したい。熟れに熟れたいのだ。バナナでいうともう余すところなく真っ黒になっているレベルまで。

 そういうわけで私、生活を改善すべく、マットレスを買いに行った。睡眠、それは生活の基盤である。睡眠を改善することは生活を改善させることに他ならない。なのでちょっと良いマットレスを買うことにした。といってもマットレスを買えそうな場所、山口県にはニトリナフコtwo-one styleしかない。ニトリナフコ。「お値段以上、お値段以上」とただコストパフォーマンスの一点突破を譫言の様に繰り返すばかりのニトリと違い、ナフコは名前から「two-one style」と、なんかこうスタイリッシュなイメージがある。意味は分からないけど、ちょっとシュッとした感じがする。なのでナフコに行くことにした。「お値段以上……」とニトリの悲しそうな声が聞こえた気がした。

 ナフコに着くやいなや、私はテンピュールを探す。良い寝具といえばテンピュールである。他は知らん。シモンズ? エアウィーブ? 聞いたこともない。テンピュールのみが寝具であり、神はテンピュールの上に寝具を作らずテンピュールの下に寝具を作らず、「テンピュールあれ」と神が仰せられたその時からテンピュールはそこにあった。ここまで根気強く読んでいる人はご存知かもしれないけれど、俺は気に入った単語をやたら繰り返すのが好きです。

 で、テンピュールのマットレスをみた。

 安いやつで¥48,600

 高ッ!

 いつも一週間分の朝食に買ってるバナナが1房5本で¥98やからお前、バナナに換算すると、えーと、お前その、あの、随分食えるわ!!

 

 結局、枕カバーだけを買って帰りました。

 マットレス? 社会人五年目になって一人前になってからかな。

テレビのリモコンの呼び方、あるいは各家庭環境の話

 「その人がどんな家庭で育ったかは、その家庭でテレビのリモコンをなんと呼ぶかから判別することができる」

 

 とまあ、一説にはそんな意見があります。一説には、というか、僕が勝手に拵えたものなんですけれども。

 しかしながら、親と子、あるいは祖父母や孫、そういった要素により構成される共同生活の最小単位としての家庭、その家庭を想像した場合、共同生活の効率化のために固有のキーワードが自然と生まれることは想像に難くありません。そしてテレビのリモコン、家庭内において恐らくは最もその所在を問われることが多いアイテムです。いちいちテレビのリモコンテレビのリモコンと呼ぶにはその名称は冗長に過ぎることから、各家庭における独特の愛称が付けられやすいのもまたテレビのリモコンではないか、そしてその名称の付け方には家庭内で共有されている前提、例えば雰囲気や常識、生活様式などが大きく反映されるのではないか、などと屁理屈をこねることもできるのではないかと思います。

 

 テレビのリモコンをなんと呼ぶ? 以前twitterでそう尋ねてみたところ、様々な回答がありました。以下にそれらを紹介し、簡素な考察を付け加えたいと思います。

 

・チャンネル

 一番ありがちなパターンではありますが、リモコンはチャンネルを変えるものでありチャンネルそのものではないことを考慮しますと、テレビのリモコンをチャンネルと呼ぶ家庭は物事の本質を見抜けない愚か者です。

 

・チャンネルかえるやつ

 物事の本質は見抜けていますが、それはもう独自の愛称とかではなくない? 認知症の疑いがあります。

 

・チャンネルチェンジャー

 英語にしちゃった。この家庭はかっこつけです。

 

・チャンチェ

 略しちゃった。しかも若干チャンジャっぽい。酒の肴好き。

 

・チャンネル棒

 棒て。確かに棒だけど、わざわざ棒て。つまりは、棒状以外のリモコンがたくさんあるってことなんですかね? ちゃんと物を整理するようにしましょう。片づけ下手

 

・チャンネルバンバン

 なんで殴るの。DVを疑ってかかるべきです。

 

・パチパチ or カチャカチャ

 レトロな雰囲気が漂っていますね。古きよきものを愛すると考えることも出来ますが、結局は時代の潮流に乗り遅れた愚か者ですね。

 

・ピッピッ or ピーピー

 普通ですね。

 

・ピ

 略しすぎだろ。面倒くさがり

 

・ピールン

 ピーはわかる。ルンて。なんでそんなにいつも楽しそうなの? 悩みとかないの? 頭お花畑なの? 楽観主義です。すいません、これそういえば我が家でした。

 

 

 以上、そろそろ友人の結婚式に遅刻しそうなのでここらで切り上げます。今日結婚する僕の親友には、素敵なテレビのリモコンの愛称をつけるような家庭を築きあげてほしいと思います。

閉じられた大戸屋の扉の前で姉を思う話

 近所の大戸屋が潰れていた。

「やる気が出ない」という正当な理由で、今日の俺は残業を早々と切り上げてそそくさと帰ることにした。そそくさとしすぎた余り、社食で夕飯を取るのを忘れてしまった。そこで俺に思い浮かんだのは、そうだ、今日は大戸屋に行こう、という優れたアイデアだった。

 大戸屋。それは落ち着いた雰囲気の漂う、全国チェーンの定食屋である。素材にも調理にも、おまけに健康にもこだわった定食を楽しむことができ、しかもドリンクバーも備え付けられているのでファミレス的にも利用することができる。しかし、この地域で幅を利かせているジョイフルと比較するとやや割高なため、普段はジョイフルを、少しのんびりとくつろぎたいときに大戸屋を利用する、というのが俺の習わしだった。

 五穀米を頼んで栄養を補給しよう、ついでにのんびり文庫本でも読もう、そんな浮きたつ心を抑えながら自転車を走らせた俺の目に飛び込んできたのは真っ暗な店内と、扉に張られた張り紙の「閉店しました」という無情な文字。俺は茫然と立ち尽くし、「嘘……だろ……?」と声を漏らす。こんな昼ドラみたいな振る舞いをしたのは生まれて初めてだ。張り紙を良く読めば「当店は2月28日をもって閉店しました」とあり、3週間も大戸屋の閉店に気づかなかったことに俺は「嘘……だろ……?」と声を漏らす。早くも二回目。

 大戸屋が潰れることはないと思っていた。大戸屋は、いつでも変わらずそこにあるのだと俺は思い込んでいた。しかし、大戸屋は潰れてしまっていた。やれジョイフルが安い、ジョイフルが美味い、と俺がジョイフルジョイフルはしゃいでいる間に。胸を引き裂くような後悔の念が押し寄せる。俺は大戸屋の苦しみに気付くことができなかったんだ。

 落ち着いた、品の良い雰囲気の漂う大戸屋は、俺にとっては理知的でしっかり者の姉のような存在だった。それと比較するならば、ジョイフルは無邪気で明るく屈託のない妹であると言える。一緒にいると楽しいけれど、少し頼りなくて目を離せない妹。最高のメニューだったタコの唐揚げをいつの間にかゴボウの唐揚げに変えてしまった妹。そんな妹と比べれば、お姉ちゃんは非の打ちどころがなくて完璧で、俺がたまに思い出すようにしか会いに行かなくっても、いつだって静かな微笑みで歓迎してくれた。そんなお姉ちゃんだから、俺なんかが気にかけなくたって、きっと大丈夫なんだと思い込んでしまったんだ。その微笑の下で、どんな苦悩と葛藤が渦巻いているかなんて気付きもせず。みなさんお気づきでしょうが、ここで俺はもう大戸屋のことを完全にお姉ちゃんであると思い込んでいます。

 閉じられた大戸屋の扉は、社会に出てしばらく経ってから突然会社を辞め、ひきこもるようになってしまった姉の部屋の扉だった。俺は扉をノックして、お姉ちゃん、と声をかける。返事はない。姉はもう心を閉ざしてしまっているのだ。自分を受け入れてくれなかった社会に。そして、自分を助けてくれなかった弟、つまりこの俺に。

 扉に両手をついて、俺は俯く。ごめん、と俺は噛みしめるように言う。お姉ちゃんを放っておいてごめん、お姉ちゃんのことを助けてあげられなくてごめん。俺はここに来るよ。明日も、明後日も、その次の日も。俺は本当は、お姉ちゃんのことが大好きなんだよ。今さらそんなこと言ったって、もう遅いのかもしれないけどさ。でも、忘れないで欲しいんだ。お姉ちゃんが扉を開けてくれるのを待っている人間が、少なくともここに一人、いるってことをさ。

 俺は顔を上げて、踵を返し、目を拭う。そして自転車に乗って走り出す。いつか姉と再び会える日が来るのを願って。あといい加減おなかが空いたので隣のはま寿司に向かって。炙りサンマがとても美味しかったです。

利己的な文章の話

 近頃すっかりブログをさぼっていたことを思いだしたので、朝のジョイフルで一筆したためている次第であります。ジョイフルは凄い。モーニングメニューにはデフォルトでドリンクバーが付いているし、フリーWi-Fiまで使えてしまう。さらにご飯の大盛りも無料だ。休日の朝を所在なく過ごしてしまうという人たちには、とりあえず起きて朝ジョイすることをおススメします。近所にジョイフルがないという人たちのことはここでは知ったことではない。ジョイフルがある場所は押しなべて田舎であり、ない場所は都会であるというのが通説である。ジョイフルどころかコンビニもないほどのド田舎だ、という方たちには黙祷を捧げたい。庭で飼っている鶏に餌でもやってください。

 ここ二か月ほどは、何も書くべきことを思いつかなかった。今までこのブログに書かれるべきだった物事なんて果たしてあったのかは置いておくとして、書けなかったのは忙しさのせいだけではないように思う。事実として一月から三月上旬まではやたらと仕事が忙しかった。定常業務のみならずなんか事業計画的なアレのソレをやったり、職能昇格するために論文をアレしたりスライドを作って人前でコレしたりとかしていたから。かといって、適当な文章を書くほどの時間がなかったというわけではなかった。ただ何も書くことを思い付けない、そんな状況だった、ここ最近の俺は。

 多分、論文作成が大きな原因なんだと思う。論旨を明確に、時系列を明らかにしつつ、事実と推測を区別して、自らの成果によるメリットを最大限アピールし、意欲的な今後の方針を述べる。書いてるだけでうんざりしてきた。論文といっても10ページにも満たないものだし学術誌に投稿するものでもない、別にそういった文章を作成するのが特段嫌いなわけでもない(作成するに足るネタさえあれば)。ただ、ああいうのはやっぱり「よそ行き」の文章なわけだ。読みやすく、分かりやすく。そんな外面ばかりを整えた文章ばかり書いていると、「あれ、自分の言いたいことってなんだったっけ?」とゲシュタルト崩壊的な気分に陥ることがままある。

 仕事上で後輩ができたら、俺は絶対にアドバイスしたいことがあるんだ。「仕事に犯されない、自分の、自分だけの領域を絶対に守れ」ってこと。それが俺にとっては、水泳だったり、音楽だったり、小説を読むことだったり、こうして取るに足らないことを書き連ねることだったりする。これらの要素が俺の領域内にあれば、俺と外部を隔てている境界線は保たれる。逆もまた然り。皆の境界線を形作るものはなんですか? 心無い社会や世間はズカズカと踏み荒らしてこようとするけれど、俺たちはそいつらを全力で守っていこうぜ。うん。「何と戦ってるんだ俺は」みたいな気分になってきたけど。俺は俺を守るために生きています。

山口に帰る話

 明けましておめでとうございます。

 実家のリビングに置いてある真っ赤なソファに、毛布にくるまって寝そべった状態で「あ~、帰りたくねえ~」と呟いたところで気が付いた。
 そういえば去年は、大阪に行くなのか帰るなのか、山口に行くなのか帰るなのか、どっちの表現が正しいのかと悩んでいたのだった。その時は自分の定位置がすでに山口に移っていることを認めたくなくて「大阪に帰る」という言い方に落ち着けたはずだ。翻って今年、帰りたくないという言葉が自然に出てしまったことからも、もう俺の居場所は大部分が山口県の方に奪われてしまったらしい。
 それを自覚してなおさら帰りたくなくなったので、毛布をすっぽり被って「もう俺は帰らない」と宣言した。
 「俺はずっとここにいる、温かい毛布に包まれたまま、何もせず、何も起こらず、ゆっくりと腐敗していくんだ」
 隣にいた母は「腐敗はいいねえ、腐敗したいねえ」と返事した。
 よくはねえだろ。
 暑くなってきたから俺は毛布を脱ぎ捨てた。

 母とは割合仲がいい親子をやっているので、昨日は親戚の家を訪れた帰りに梅田に立ちより、最近スキマスイッチにはまっている母のためにヘッドホンを買いに行った。途中で通りすがったEGOISTの店が福袋を販売していた。
「EGOISTの福袋~、ただいまタイムセールでーす!!」
 EGOISTのくせに、お客様のために福袋を販売していることがちょっと面白いという話をした。
「エゴイストなんやから、もうもっとエゴを出してほしい。在庫で余った靴下ばっかが福袋に詰まっているとか」
「同じニット帽ばっか入ってるとかな」
 こんな与太話に付き合ってくれるあたり、やはり俺の母なのだと思う。
 色々と物色した挙句、パイオニアの7000円くらいのヘッドホンを母は選んだ。お年玉ってことで、と俺が金を払った。自分の得意分野のものを人に買ってあげるのはかなり楽しい。

 都会の人は他人に無関心だ、とありきたりな言葉があるが、俺はそんなことは思わない。個人が他人に対して抱く関心の絶対量は田舎でも都会でもさほど変わらないのではないのだろうか。違いがあるとすれば、人の数だと思う。都会は人が多すぎる。だからいちいち関心を割いていられないのだ。
 こんな数の人間をいちいち気にしていては、生きることははるかに難しくなってしまう。
 肩をぶつけずには歩けない梅田の人混みを抜けながら、俺はそんなことを考えていた。

 帰省して6日。せっかく建物の高さにも通行人の数にも慣れて昔の感覚を思い出したところなのに、もう山口に帰らなければならないらしい。やだやだ。ずっとおうちにいる。せめて従姉の娘(可愛い)を持って帰る。駄々をこねたら母親にしばかれたので、仕方なく荷物をまとめた。
 大阪に戻ってきた初日、ラーメンを食いに行こうと新大阪駅を北側から抜けたところ、「月見バーガー」と落書きされた街灯を見かけた。誰がどんな理由で街灯に「月見バーガー」などと書きたくなったのだろう? 面白くなって写真を撮ったのだが、データが破損していた。仕方ない。これからは「月見バーガー」と書かれた街灯を見て面白がることを帰省の一つの楽しみにしよう。