しらける話

 みんなさ、遊んでる最中に、「なんかつまんねーなー」って気持ちになったことない? 「今やってるこれ、確かに楽しいんだけれど、果たしてこれに何の意味があるんだ?」って気持ちに。

 おれはあったよ。それもしょっちゅう。例えば高校の友達とシダックスキャラメルマキアートをガッパガッパ飲みながらBUMPやRADWIMPを熱唱したり、大学んときに慣れないビール飲みながら飲み会でギャーギャーはしゃいでいたり、そんな合間合間で。トイレに立って、用を足している時に、そいつが目覚めるんだ。

「そんで?」っておれの中のクソしらけ野郎が言う。「表面上お前は楽しそうだけど、それって本当のお前は楽しいの?」

 うるせーって、その言葉を振り払うようにおれはチンコをぶるんぶるん振る。なんだ本当のおれって。それはイケてもない特技もない天才でもない、ちんけな劣等感を抱えてるおれのことなんだろうけれど、そんなもん出したところで何になるんだ? おれは余分にチンコを振って、手を洗って、会場に戻る。少し、場違いな気分になる。この場所にうまく馴染めているのか不安になる。自分の正しい振る舞いかたがよくわからなくなる。

 そんな感じ。

 んで、こいつは厄介なことに、いつだってやって来るようになる。朝の、夜の、電車のなかで。試験勉強の合間に。本を読んでる最中に。布団のなかで。いつだって。

 

 おれはそんな、おれの中のしらけ野郎を蹴っ飛ばして追い出したつもりだったんだよな。

 だってそうだろ、しらけるのは最低の悪手だ。「意味がない、つまらない、気に入らない」の一言でなにかを切り捨てて、勝手に上から目線になって。根拠のないニヒリストはただの水差しクソ野郎だ。

 つまりはこうだ。意味のないものなんてないさ、っておれは唱える。

「そんなことはねえだろ。例えば、猥雑な週刊紙の片隅に載ってるホロスコープみたいに」

 それだって誰かが懸命に考えて書いたものだし、そいつをたよりに一週間の暮らしかたを決めている誰かさんだっているかもしれないだろ? その彼だか彼女だかはホロスコープに救われているはずだ。

「詭弁だろ。お前は占いを、とりわけ星座や血液型で人を判断するような輩が大嫌いなくせに」

 おれがそいつを嫌いだからって、そいつ自身に意味がないとは限らないさ。いいか。おれのものの見方は、全くもって正しいとは限らない。あるものがおれにはAに見える。でも別の人にはそいつがBにもCにも見えるのかもしれない。とある物事の本質は、おれのしょっぱい見識では推し測れるものではないんだ。

「そんで?」

 だからこうだ。おれたちは、あらゆるものを面白がることができる。あらゆるものに意図や意味があるんだ。コンクリートのひび割れにも、路地裏にある狭い公園にも、エアコンの室外器の並びやそこから生えるダクトにも、誰も登らない歩道橋にも、ポケットティッシュの裏側にある広告も開いたことのないプリインストールアプリにも、古本屋の平積みの下の方で折れ曲がった文庫本にも。なんにだって、それが今の状態に至るまでの背景があり、そこに意味を見出だすことが出来るんだ。

「そんで?」

 だから少なくとも、おれは今、楽しむべきなんだよ。今遊んで楽しむことの意味なんてあとから勝手についてくるんだから。

「あっそ。じゃあ頑張って楽しんでね」

 で、おれはおれの中のしらけ野郎を追い出した。

 

 まあもちろん追い出したと思ったのは錯覚で、しらけ野郎はずっとおれの中にいた。いい加減な理屈はなんにも打ち負かしてなくて、そいつが明確な言葉になるのを防いだだけ。しらけ野郎は漠然とした、単なるしらけた気分に変化して、ティッシュに落とした黒いインクみたいに、じんわりとおれの中に広がってた。

 ほらどうした、とおれは言う。楽しめよ。面白がれよ。

 うるせえ、お前がいるからできねえんだろうが。

 結局のところ、初手から間違えてんだよ。全部。全部だ。お前がなにかを楽しめなくなったのは、単にお前がそのなにかに一生懸命じゃなかっただけ。ものの考え方とか、捉え方とか、そんなもん本っ当にどうでもいいの。お前が部活に、勉強に、バイトに、研究に、趣味に、そのうちどれかひとつにでも本気で、全力で、そこにお前の全部を預けるような生活が出来てれば、お前はその場所で心底楽しめただろうに。なにが、あらゆるものを楽しむことができる、だ。お前は何を楽しむかの判断も自分でできなかっただけだろうが

 だってお前は言っただろ。おれのやることになんの意味があるんだ、おれがそれをやる意味はなんなんだ、一体お前に何が出来るんだ、って。

 知らねえよ。何もやらなかったのはお前だろ。

 

 

 俺にはこいつの殺し方が分からない。

今聴いている音楽の話

 特にやることがないので、好きな歌を集めたプレイリストをシャッフル再生し、その曲が流れ終わるまでに感想を書き上げるやつをやります。

 

 魂の本/中村一義

 一発目から良いのを引きました。中村一義のなかで12を争うくらいには好きな曲。軽やかなメロディに載せて歌われる「ただ僕らは、絶望の“望”を信じる」の力強さに、何度聞いても心を揺さぶられる。「電線の束、今日の赤、痛い状態は直感で」

 

 よだかの星/amazarashi

 ポエトリーリーディングといえばamazarashi、amazarashiのポエトリーリーディングといえばこれ。身体を燃やしながら空を飛ぶよだかにふさわしい、激しくもどこか消え去りそうな曲。

 

 Fools in the planet/the pillows

 アウイエー!! うん、それが言えればいいや。あとまだ5分も残っているのか。何書こうかな。そういえばpillowsで初めて聴いたのがこのアルバムだったと思う。そういう意味では思い入れのある曲。「誰もが忘れても、僕は忘れたりしないぜ」ってフレーズが、歳を取るごとに身に染みるようになる。これは誰かに向けた励ましの言葉ではないんだよな。自分たちに言い聞かせてるんだよ。「俺たちがここでこうして歌っていることを、俺自身は忘れたりしないぜ」ってさ。自分を疑わないって言いきるのは、裏を返せば自分が揺るぎそうになる瞬間があるから。その迷いを内包するからこそ、自己を補強するためにさわおは言い切るのだ。「全てが変わっても、僕は変わらない」

 

 アンジェラ/山崎まさよし

 山崎まさよしの中ではトップクラスに好きなんですよね。この曲。「アンジェラ」という女性の底の知れなさが伝わってきませんか。あと色調。とことんモノクロームなんですよ。色褪せた落書き、灰色の空、そこに最後に光が差し込んで、物語が始まる。この展開がたまらない。

 

 大脱走のテーマ/fozztone

 ぱんぱん、ぱんぱーんぱぱんぱん、ぱぱーんぱぱーぱぱっぱんぱーん

 

 Maybe I cry/cool drive

 昔っから好きなんですよ。このバンド。ドマイナーだけれど。ジャズをベースに、ブルース、ポップ、ロックとジャンルを容易く越境して躍動する音楽は今聴いても存分に格好いいぜ。この曲もたたみかけてくるリズムに乗るヴォーカルとサックスが溜まんない。ライブで聞けたら最高だったろうなあ。

 

 如月/suzumoku

 そういや最近聴いてなかったなsuzumoku。力強くかつ澄んだ声を持つ王道シンガーソングライター。この曲はsuzumokuの声と抒情的な歌詞、静かに進行していく曲調が見事にマッチしていると思う。「音もなく訪れた如月」というフレーズが大変お気に入り。エレキverも格好良い。

 

 想い斬り煮っ転がし/スムルース

 曲名の変換で再生時間の半分持っていかれた。ふざけた曲かと思いきや、スムルースのコミカルさとセンチメンタルさが巧くミックスした曲だと思う。

 

 小さな光/ケイタク

 あー、高校生のときよく聞いてたなー。王道フォークデュオの王道まっすぐな曲。初期コブクロやサスケみたいな爽やかさが漂っているんだけど、しかし「小さな光」とは昔抱いていた夢のことで、それを忘れないようにひたむきに生きていきたいと願う、少し哀愁も併せ持つ曲。俺はそういうのが大好き。

 

 sunrize/ぼくのりりっくのぼうよみ

 いやこういうのもなんですけど、本当この人天才じゃないですか? 言葉の捉え方がちょっと常人のそれではない気がする。歌詞が色/触感/匂いといった具体的な感覚を以って五感に訴えかける。聞き流して心地良い、歌詞を見ながら聴けばさらに染み込む、いやなんだろ、よくわかんねえや、とにかく彼の見えている言葉は俺の言葉よりも随分と豊かなように思える。

 

 ずわい蟹/真空メロウ

 あーこれね、ぜひ聴いてみてほしい。ハマる人はとことんハマると思う。people in the boxが好きな人はぜひ。なんというかね、ジャンルで言えばたぶんポストロックあたりになるんでけれど、曲に漂う不条理、アングラ、前衛的な感じ、これが唯一無二。ぬめっとした粘液に取り巻かれているような心地良さ。それほんまに心地良いのか?

 

 Laurentech/special others

 あーこの曲を弾けるようになるためだけに子供時代に戻ってキーボードを猛練習して―。

 

 swim/04 limited sazabys

 今高校生に受けている若手バンドといえばこの辺になるのかな? my hair is bad とかKANA-BOONとか? もう俺は高校生ではないし、もう2度と高校生に戻ることもないから、わからないんだけれど。真っすぐなパンクロックですね。今時真っすぐすぎて眩しいくらい。ハイトーンのボーカルに疾走するビートが気持ち良いです。

 

 Urban Souls/Scoobie Do

 Scoobie Doの立ち位置が良くわかってないんだよな。たぶん大ベテランであることは間違いないんだけれど。pillowsよりは若いのかな? この曲はもうひたすらサビのギターが格好良い。この曲聴いているときは絶対身体揺れている。

 

 B D H M / Good Dog Happy Men

 好きなバンドベスト10には入りますね。最近Burger nudsで新譜出してましたけど、あれ別にburger nudsじゃないよなあ。門田さんのソロの曲をバンドに落とし込んだだけ、みたいな。いや、あれはあれで割と好きではあるんだけれど。Good Dog Happy Men時代の楽曲は全体に統一感があってとても好きです。とある一つの架空の街があって、各曲がその街の一部分を切り出しているような感じ。BDHMはその街の中で、たぶん最も汚い場所で生きていた男のお話。街には汚いもので溢れているし、美しいものを知るためには汚いものが必要なんだ。

 

  マストピープル/the Arrows

 なんだろう、好きなバンドなんだけどね、なんというか迷走してたなーって気がする。「さよならミュージック」がFM802ヘビーローテーションになってたから知ったんだと思うんだけど、あれが少し人気になってしまったのが当人たちにとってはどうだったのかなー。マストピープルみたいなダンサブルなナンバーこそ本領発揮のような気もするし、かといって1stの東ファウンテン鉄道はもっとメロウなナンバーが集ってるし。1stはマジで名盤です。一度そっくり聴き返してみようかな。

 

 8月、落雷のストーリー/メレンゲ

 青春の曲なんですよ。これは俺にとって。好きな子とイヤホン半分こして聴いた。メレンゲを熱心に聴いてたのはHeavenly Daysくらいまでで、なんだろう、それ以降少しJ-pop感が強くなってしまって敬遠してたんだよな。新しい曲は出たのかな? メレンゲの楽曲は、晴れた日の通り雨のようにきらめいていて、僕の青春に一つの彩を加えていてくれてました。

 

 

 疲れたのでそろそろ終わり。こうして書いていると、音楽をある種「必死に」聴いていたのは高校、大学の頃までで、最近は真剣に音楽を聴いていない気がします。もっと聞くか音楽。Turn on the radio俺!

ELLEGARDENの話

 復活するそうですね。ELLEGARDEN。いやいま話題にするのも流行にのっかってるみたいでヤなんですけれど、しかしELLEGARDENと言えば僕らの青春の一かけらではありませんか。こんなこと言うと年齢バレるな。まあ別に隠してないからいいか。当方27歳男性であり、10年前のELLEGARDEN最盛期がちょうど高校世代にドストライクしていた者であります。ELLEGARDENは知ってるけれど、the HIATUSMONOEYESを聴いてないって人、僕らの世代には特に多いんじゃないんですかね。

 僕らの世代といえば、ちょいと「音楽を聴く」と通ぶっていたやつらといえば軒並みBUMPやらRADやらアジカンやら、邦楽ロックに傾倒していたものでした。僕もそうでした。その中で、ELLEGARDEN。みんな聴いていました。みんな聴いていたけれど、なんというか僕の周りでは女子人気が高くて。Red Hot、Missing、ジターバグ。いや確かにいい曲なんだけれど、ひねた俺は「まっすぐ過ぎない?」なんて考えていまいち乗り切れないでいました。「真っ当に格好良すぎない?」なんて。だから俺は「あー、ELLEね。高架線なら好きだよ」みたいなスタンスで彼らに接していました。ダッサ。今思うとダッサ。マイナーなところを突き切れていないあたりが特に。

 それはつまり、僕には眩しかったのでしょう。真っ当に格好良いロックをやっている彼らのことが。だから僕は「弱さ・駄目さ」を曲に包括しがちなBUMPやRADばかりをカラオケで歌ったり、その後には中村一義にドはまりしたりするんですけれど、それはまた別のお話。

 で、今になって聴きなおしてみて。やっぱり格好良いんですよね。ELLEGARDENのロックは、真っ当に格好良くて、揺るがない。彼らの音楽は、例えば歌詞のエピソードや、歌う人の個性のような、「刺さる人にはとことん刺さるけれど、共感されなくなったら終わり」なものに頼ってはいない。それはかつての僕の心臓を殴り切れなかった理由でもあるけれど、だけどELLEGARDENの強さでもあったのだと思います。ELLEGARDENはまっすぐなロックを僕らに届けてくれてたんだ。

それでは最後に好きな曲を貼って終わります。みんなもELLE、聴きなおそうぜ!!


ELLEGARDEN-Mr.Feather

髪の毛にメッシュを入れている男の話

「いや、友達になれそうもねぇ~」


 その写真を見た瞬間、俺はそう口走っていた。
 高校時代の、久しぶりに会う女友達。彼女が差し出してきた今の彼氏の写真。
 彼の写真を見た瞬間だった。

 その髪にはメッシュが入っていた。

 その写真を見たとき、俺はどうしてもそう言わざるを得なかったんだ。

 

 俺の言葉を聞いて彼女は憤懣やるかたない素振りでプリプリしていた。そりゃその気持ちもわかる。数年会っていなかった、ただ顔なじみだってだけの野郎に、「お前の大事な恋人のことを、俺はどうにも好きになれそうもない」と言われたんだ。憤りもするってもんだろう。事実「知らない間に、そんなにひねくれた考え方をする子に育っちゃって......!」と彼女はこぼしていた。お前は俺のお母さんか。

  しかしながら、俺の言葉に驚いてしまったのは、彼女よりもむしろ俺のほうだったに違いない。自分がそんな偏見を言ってしまったことにだ。「髪の毛にメッシュが入っている」ただその外見上の一点だけで、他人を決めつけるような言葉を発してしまったこと。俺にはこんな偏見があったのか。俺は自分の持つ視野の狭さに、自分の言葉を通さなければ、気付くことができなかったのだ。

 慌てて俺は自己弁護した。

「俺は『自信がある人』が苦手なんだ」

「彼らは自分の優れたる点を確信している」

「彼らの前では俺は己の矮小さに気づき、丸裸になったような気持ちになる」

「髪にメッシュを入れている人」

「彼らは自分の容姿に自信を持っているんだ」

「じゃないと髪にメッシュなんて入れないだろ?」

「『髪にメッシュを入れてください』って美容師に頼むんだぜ?」

「頼めるか、それ。メッシュ入れてくださいって?」

「俺には到底無理だ」

「だからこそ、彼がとってもまぶしく見えるんだ」

「だから俺は彼とは仲良くなれそうにないんだ」

 

 完全に詭弁だったので逆効果だった。

 

 彼女と袂を別ち、一人になってから、俺は反省した。それはもうしこたま反省した。一度もあったことのない他人を外見だけで判断するのなんて愚の骨頂だ。愚の骨頂の骨頂だ。外見に内面は、そりゃ多少は現れるかもしれないけれど、かといってそれは一部にしか過ぎないだろう。なのに俺は一枚の写真だけで他人を判断した。友人の大切な恋人を、その人格を推し量ってしまったのだ。これは恥ずべき愚行だ。

 なので、一旦、耐性をつけてみることにした。

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 いややっぱ仲良くなれそうにねぇ~。

 

間違いを見つける話

 整合性のない数字の羅列をにらみ続け数時間、増える残業代とともに発見したことは「去年の自分が間違っている」ということだった。

 冗長な計算式の並んだスタイリッシュさの一切ないExcelファイルを根本からつくりかえつつ、ふらりと現れた隣の部署の先輩に愚痴を吐く。「よくあることさ」とすげなく返される。よくあることなのかい? どうだい去年の自分?

「僕は間違えてばかりだろう?」と言うのは一年前の方向に並んだ僕自身で、僕はその言葉に頷かざるを得ない。僕の間違いは一年に一回という程度では勿論なく、あらゆる場面で誤り躓き転がり続けて今に至る。

「少なくとも僕は一つ過ちに気付いた。それは一つ僕が正しくなったということだ」

「そうだね、僕は一年前の僕よりも正しい」

「そうだ、そして僕もきっと僕の一年前の僕よりは正しいはずだ。そうだよな?」

「そうだな一年後の僕。だから一年後の僕の一年後の僕は僕よりもっと正しい。自信を持つことだ」

「そうだ、僕は正しいんだ」

「ちょっと待て」と反対側から声をかけるのは一年後の方向に並んだ僕だ。

「勘違いするな。一つ正しくなったからといって、お前の正しさが何かに担保されるわけではない。むしろこれからもお前は誤り続け、躓き続け、転がり続け、四方八方から否定され続けて生きていくことになるんだ」

「そんな辛い予言をするなよ一年後の僕」

「予言じゃなくて事実だ。少なくとも今の僕にとっては」

「いやしかし、一年後の僕がまだ正しくあれなかったとしても、そのさらに一年後の僕は正しくなっているのかも知れないじゃないか」

「そんなことはないと思うが」

「推測じゃん。一回ちゃんと訊いてみてよ」

「しかたないな」

 一年後の僕が二年後の僕に伝言を頼み、二年後の僕が三年後の僕に伝言を頼み、n年後の僕が少なくとも僕よりn+1箇所は正しくなっているはずのn+1番目の僕の伝言を返してくれるのを僕は待つ。

 しばらくしてから一年後の僕が言う。

「伝言が来たぞ。n→最期の僕から」

「なんて?」

「『割と良い人生だった』ってさ」

 求める趣旨の言葉とは全く違ったが、良いことを聞けたなあと僕は思う。

people in the boxの話 ~その音楽の存在強度と、許されることについて~

 people in the boxの新譜である「Kodomo Rengou」がH30.1.24に発売され、昨日やっと届きまして、聞き惚れているところであります。以前「people in the boxについて語って欲しい」と宿題をもらったことでもあるし、良いタイミングなので、僕の思うpeople in the boxの魅力について書いてみましょう。

 

 さてpeople in the boxとは?

05年に結成した3ピース・バンド。
08年に福井健太(Ba)が加入し、現在のメンバーで活動し始める。
3ピースの限界にとらわれない、幅広く高い音楽性と、独特な歌の世界観で注目を集めている。

(公式サイト/Biographyより)

 公式の紹介が思いのほか雑。

 

 彼らの音楽の特徴として、3ピースとは思えない重厚で重層的な音の鳴り方、変拍子に代表されるダイナミックな曲の展開、イノセントで透き通るようなボーカル波多野の歌声などなどありますが、僕はここではやはり「極めて暗喩的な歌詞」を取り上げてみたいと思います。

 例えばこれ。

 

ー白昼夢が続きますように

 白昼夢が続きますように

 すれ違うベビーカーでまた会おうぜ (レントゲン)

 

 うん、なんのことだか良く分からないね。こういった「具体的な単語、動作、状況ではあるものの、背後に何か大きな意味、物語が隠されていそうであり、曲全体を眺めると妙に抽象的に思える歌詞」の綴り方を彼らは得意としています。その一見、無機質で歪な言葉の並びに、僕は深く惹かれてしまうのです。

 とは言え、歌詞を読み解こうとしなければpeople in the boxの音楽は味わえないというのではなく、むしろ全くその逆です。

 

言葉にできないものを表現するっていうのが前提としてあって、(中略)とはいえ、何か一つの正解というメッセージを発信しているわけではもちろんなくて、

 (People In The Box発、大衆音楽としてのアート×ロック - インタビュー : CINRA.NET、2010.10.5)

抽象的にとらえられやすいんだけど、言ってること自体、どれも具体的。それを俯瞰で眺めると抽象的になっちゃうのかもしれないけど――。(中略)一個一個のイメージははっきりしてるんだけど、つなげることによって、また新しいんだっていうのが好きで、それは音楽と言葉の組み合わせというか。こういう音楽にこの言葉が乗るとさらにヤバイよな、みたいな。そういう化学反応を楽しんでますね。

 (delofamilia × People In The Box 対談インタビュー【1/3】 | delofamilia

、2014.1.27)

 

 これらの波多野氏の言葉から、people in the boxの歌詞を音楽から切り離して「ある固有の意味、物語を内包するもの」として断定的に解釈するのは誤りに近いのだと僕は考えます。正しい読み方などは存在せず、何なら正しい感じ方も存在しません。ただ、聴く人それぞれの読み方、感じ方があるだけ。僕らは好きな情景を音楽に重ねて思い浮かべて良い。

 people in the boxの音楽の優れた点は、その「聴く側へ委ねる姿勢」にあります。共感の押しつけも、過度の歩み寄りも、そこにはない。彼らの音楽はただ音楽としてそこにあります。僕らはそれを受け取り、音楽を自由に解釈することができる。その解釈を通して、むしろ僕らは僕ら自身を知るのです。people in the boxの特異性は、時期により多少の変遷はあるものの、そこにあります。彼らの音楽は単なる表現に留まるものではなく、聴き手の解釈を入出力する装置にもなりえるのです。無機質な印象を与えながらもその音色がどこか「優しい」理由は、聴き手に委ねられたその解釈の自由度ゆえであると僕は思います。

 元気を出せ、頑張って、そんなテーマを歌う曲はこの世に数ありますが、疲れている時の僕はそういったこちらに積極的なアプローチをしてくる曲よりも、people in the boxの曲に救われます。それは彼らの音楽がただそこに存在するからであり、そしてその音楽の傍で僕らが存在することを同時に許してくれているからなのです。

 

 さあ御託はここまでだ! 好きな曲の紹介行くぜ!! 全アルバムレビューとかしようと思ったけどさすがに疲れるのでしないぜ!!


People In The Box-She Hates December

 1st mini albam「Rabbit Hole」より。
 透き通るイントロから言葉を置くようなメロを経て、代名詞ともいえる変拍子を取り入れた空間を引き裂くようなサビにいたる初期peopleの代表曲。この完成度が1stの1曲目ってどうかしている。
 「もたらされぬ救い 残虐な朝の光」や「月が消えたら僕らだ」と、絶望を匂わせる言葉が並ぶ。冷え切った12月の夜を思う。凍り付いた空気の中、ビルの屋上で、前にも後ろにも進めない少女が立ち尽くしている。

 

  2nd mini albam「Bird Hotel」より。
 この曲を紹介しない訳にはいかない。俺が初めてpeople in the boxに触れた曲であり、個人的にpeople in the boxの異端性を最も的確に表している曲でもある。上にある「こういう音楽にこの言葉が乗るとヤバい」を体現している。歌詞の意味はさっぱりわからん。ただヤバい。

 


People In The Box - 火曜日 / 空室 (LIVE)
 3rd mini Albam 「Ghost Apple」より。
 曲がそれぞれ曜日の名を冠するコンセプチュアルアルバム。ここからアルバム全体の完成度というか、引き締まり方がぐっと増しているように思う。
 俺がpeople in the boxを「無機質」と評する理由はこの曲が分かりやすい。疾走するメロディーに乗っかる、ただ事象を羅列していくだけの歌詞。感情表現は一切ないが、しかしその裏側には「彼女」の欠乏による如何ともできないむなしさがある。

 


People In The Box 旧市街

 2nd Albam「Family Record」より。
 はい出ました。どう生きればこの曲が作れるようになるんだ。Things Discoveredの付属冊子インタビューで「耐久力のある曲」と波多野氏が評していたが、それを通り過ぎてもはや底なし沼のような曲である。聴けば聴くほど聴きどころが見つかる。なんだこれ。俺に解説できることはなにもないので、とりあえず聴いてくれ。頼む。俺の文章は読まなくていいから、この曲だけでも聴いてくれ。

 


People In The Box「ニムロッド」

 4th mini albam「Citizen Soul」より。
 本人たちが「分水嶺となった」と評する作品であり、ここを経て音楽としての表現の幅が明らかに広がっている。歌詞も以前の「無機質感」が少し薄れる。俺が一番好きなアルバム。peopleを聴き始めるならこれと「Rabbit Hole」を個人的にはオススメする。youtubeにはなかったが「親愛なるニュートン街の」がハチャメチャに好きであり、この曲を聴いている時に設定を思い付いたお話をもう4年くらい温め続けている。もっと上手く書けるようになってから書く。
 曲紹介。people in the boxの代表曲と言っても良い。緩急の付け方が最高。変化に富んだ曲展開のせいで一切飽きることができない。
 歌詞としては「火照った大地」「飛行船」「8月」「あの太陽が偽物だってどうして誰も気付かないんだろう?」と随所にきな臭いフレーズが見受けられるものの、しかしそれが示すものがこの曲の本質なわけではない。それこそ爆弾のように投下される数々のフレーズがもたらす情景の変化を楽しもう。MVがまた秀逸。

 


八月 - People In The Box

 3rd albam「Ave Materia」より。
 アルバムのトリを務める曲。優しく語りかけるように歌いあげる曲であり、珍しく、明確なメッセージを感じる。「愛も正しさも一切君には関係ない 君は息をしている」。そう繰り返すこの曲がもたらすのは圧倒的な許容である。存在の強度だけで聴き手を許容していたpeopleの音楽が、外部の存在まで補強し始めた決定的な曲。だが、この曲は決して無制限に優しくはない。それは一番のサビの、「きみの世界で選べるのはただひとつだけのボタンさ 機械のように「その階には止まりません」とぼくは何度も繰り返すけどきみには冗談にしか聞こえない」いうフレーズから読み取れる。人は望んだ場所に行けるとは限らない。しかし、それでも「君は息をしている」。この曲は決してこっちに歩み寄ってはくれないが、しかし僕らの生を許容してくれているのだ。
 個人的な見解だが、ここ以降people in the boxの音楽は少し方向性を変える。以前の孤独な、孤高な存在感が薄れるものの、聴き手への意識を音楽に内包するようになる。しかしそれを聴き手に歩み寄ることによって実現するのではなく、音楽自体に聴き手を包括するような形式で実現するあたりが最高である。

 

midiしかなかったのでCD聴いてね

 5th mini album「Talky Organs」より。
 「大きな音が聞こえた 灼けるように暑い日で」と始まるこの曲。どことなくニムロッドに似たモチーフを感じるが、しかし着眼点としては曲の後半、最後のサビで力強く「君を根拠に生きていくから 僕は強くなれるかな」と歌う部分。良く出来た青春小説のクライマックスにも似たカタルシスを得られる。得たくない? カタルシス得たくない? じゃあCD聴いてください。

 

 

 新譜「Kodomo Rengou」を聞きながらこれを書きましたが、「無限会社」の攻撃的なベースライン、「街A」の変拍子、複雑な展開、畳みかけるように単語を羅列するサビ、「動物になりたい」の透き通った音と声、そして一見キャッチーなリード曲「かみさま」へと繋ぐ流れ、現在までのpeople in the boxの集大成といってもいい、直近の作品ではもっとも完成度の高いアルバムだと思います。

 ここまでわざわざ読んだ人はもう入手済みだと思いますが、念のためAmazonへのリンクを貼っておきますね。さあ買ってくれ。

 

Kodomo Rengou

Kodomo Rengou

 
rabbit hole

rabbit hole

 
Citizen Soul

Citizen Soul

 

 

眼鏡がいなくなった話

 職場の更衣室には大きな風呂が備え付けており、その風呂に入って一息ついていたところ、僕の眼鏡はいなくなっていた。

 何を言っているのか、よくわからないかもしれない。しかし文字通りの話だ。僕の眼鏡が姿を消してしまった。跡形もなく。一筆の手紙も残さずに。

 僕は眼鏡のない、いわゆる裸眼で、眼を凝らしながら家路についた。冷たい風が直接僕の眼に吹き付けて、少し涙が滲んだ。眼鏡のない生活は久しぶりのことで、あらゆるものが霞んで見えた。今まで当然のようにともにいた眼鏡を失う、ただそれだけのことで、世界は鮮明さを失ったように見えた。

 家に辿り着いてから、僕は予備の眼鏡を身に付けた。オレンジ色の弦が眩しい眼鏡だ。その眼鏡を掛けるのは、数年ぶりのことだった。数年前、今の眼鏡を手に入れてからは、久しく掛けることのなかった。

「久しぶりね」と彼女は言った。

「予想外の事態が起きてね」と僕は答えた。

 彼女、予備の眼鏡は、そのレンズの隅に静かに光を湛えていた。それはレンズの隅にとりついた傷のせいだったかもしれない。しかし、その光はどこか寂し気なもののように、僕は思えた。

「予想外の事態」と彼女は言った。「それがなければ、私を再びかけることもなかったでしょうね」

「あるいは」と僕は言った。「君にとっては、非常に冷酷なことだったかもしれない。それを僕は、本当に申し訳なく思っているのだけれど」

「私に対する謝意など、どうでもいいの」眼鏡は答えた。「私たちは、ただの道具。人間に、便利に使われるための、ね。だからあなたが私のことを忘れていたとしても、それは責められるべきことではない。何故ならば、私は使われていなかったのだから」

 僕は目を閉じて、今自分が掛けている眼鏡に意識を凝らした。そこには違和感があった。いつも僕が掛けていた、新眼鏡とは違う存在がある、その感覚が。この眼鏡をかつて自分が掛けていたという事実は、にわかには僕には信じがたいものだった。

「重要なのは、あなたがいつも掛けていた眼鏡。あなたがその眼鏡の存在を、さも当たり前のように思いこんでしまっていたということ。あなたの鮮明な視界が、眼鏡によりもたらされたということなど、あなたはすっかり忘れてしまっていたの。だから、あなたはうろたえてしまっている。当然のようにあったものが、失われてしまったのだから。しかし、その喪失は、ある意味ではそれは正しい。あなたの眼鏡は失われるべくして失われたの」

「失われるべくして失われた?」僕は、いま掛けている眼鏡の言葉を繰り返した。

「あなたの眼鏡が、あなたにとって当たり前になってしまった実存を回復する為には、一度失われざるえなかった」

 僕は黙って、今かけている、旧眼鏡を外した。彼女はそれ以上言葉を発さず、ただ静かに室内灯の光を反射していた。

 僕は新眼鏡のことを考えた。しかし上手く思い出すことができなかった。新眼鏡は僕とともにいて、当たり前のものだった。

 新眼鏡を掛けた時の鼻の重み。新眼鏡を掛けている時の鮮明な視界。新眼鏡がいままでカットしてくれていたブルーライトの光。それらは全て、今では既に失われてしまったものであり、僕が今まで特別に意識しなかった事象であり、そしてもう二度と手に入れることのかなわないものであった。

「僕は、どうしたら、あの子ともう一度出会えるのだろう?」と僕は言った。

 僕の質問に答えてくれるものは誰もいなかった。旧眼鏡も、ただ静かに机の上に佇んでいた。僕はぼんやりと霞んだ視界を見つめたまま、少しだけ泣いた。