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通り過ぎる話

日記

 僕が大学へと向かうには地下鉄から私鉄へと乗り継ぐ必要があるのだけれど、その乗り継ぎの際に通る通路に、一人の老女が住んでいる。率直に言えばホームレスだ。多分、僕が大学に通い始めたころからずっと、彼女はそこで暮らしている。毛布とトランクをその傍らに置いて、彼女は柱にもたれ掛かっている。いつもの光景だからほとんど気に留めることはない。彼女がいたのかどうかすら数十分後には僕は忘れている。
 最初は何か息苦しさを覚えた気がする。誰もが老女を見えないもののように無視して通り過ぎる、その光景に。だけど、今では何一つ感じることがない。僕も他の人たちと同じように次の改札へと向かうだけだ。
 ここで僕のことを「薄情だ」とか「血も涙もない」とか思う人がもしいたとしたら、その方はよっぽど純粋な善人か、または現実が見えていない頭お花畑のどちらかだ。一般人が一人で出来ることなど、駅員やら市役所の人やらが散々試したに決まっている。それでも彼女はあそこに住んでいるし、誰もがそれを黙認している。ならばこれ以上突き回すべきことは何もない。それを全て分かった上でなお老女のために何かしようという人がいるのなら、その人はとてつもなく純粋な善人だ。僕は称賛の拍手を惜しまない。だが、あの場所を通過する、おそらく一日で5桁オーダーにもなろうという通行人のうち、そういう人は一人もいない。「駅名+ホームレス」で検索したところで該当する記事はほとんどない。

 これは何かを訴えたいがための記事じゃない。あそこを通りがかることが無くなる前に、僕が云年間見ていたものを記録しておきたいだけだ。僕が野良猫に対するほどの注意も向けなかった、無機質な置物と同程度にしか考えていなかった一人の人間のことを。
 ただ、僕はふと考える時がある。あの老女は、自分に目を向けることもなく通り過ぎる人たちを見て何を感じているのだろう。目の前を通り過ぎる僕らの脚が彼女にはどう見えるのだろう。何千人もの足音は降りやまない豪雨のように聞こえるのだろうか。それとも、その辺の虫の羽ばたき程度にしか聞こえないのだろうか。