語りえぬ話

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」とか言うなら、もう黙りっぱなしになる他僕にはない。でも黙っているのは癪だから僕は喋る。
 語りえぬものについてなんてそりゃどうやったって語りえないわけだけれど、じゃあ語りえるものってなんなんだ? 語りえるものなんてこの世には存在するのだろうか。言語をどれほどの練度で修得すれば物を語りえるようになるのか。とかこんな話を始めてみたわけだが、僕には哲学は分からない。分からないものは嫌いだ。何故なら説明できないから。
 大昔に「感情を直接表現する曲はクソだ」とか言ったことがあって、その思いは今も変わっちゃいない。『寂しい』ってなんだ。『幸せ』ってなんだ。僕には分からん。今僕はあまり良い気分ではないが、良い気分でないと言ったって、それは僕のこの良い気分でなさを説明してくれはしない。だからこの良い気分でなさは、それ以外の言葉で説明するしかない。
 僕はウイスキーを飲む。
 僕はクッキーをむしゃむしゃ食べる。
 僕は風呂に入る気にならず、翌朝でいいかと怠けている。
 僕は頭を掻く。
 僕は自分の左肩に手を置き、もみほぐしながら首をコキコキならす。
 僕は大声で叫びたくなり、それから少し泣きたくなる。
 僕は眠る。目が覚める頃には、この気分はどうせ少し薄れている。

 

 本を食べたい。いまいち頭が働かない時に本を読んでいるとそんな衝動が胸を衝く。アンキパン。あれみたいにテクストを脳に直接焼き付けることができないものが。しかし印刷活字はデジタルなデータではないので、例え本を喰ったとしても脳内記憶に変換するのはなかなか難しそうだ。となると、電子書籍か。あれならそのまま取り込めるだろう。電子書籍をUSBメモリに転送する。それを自分に差し込もうとするが、どうにもちょうどいい穴がない。鼻に差してみる。windowsがUSB機器を認識した時のデロンッという音が聞こえないので、鼻では駄目みたいだ。仕方ないので当初の予定通りUSBメモリを喰う。ボリボリボリボリ。美味くない。buffaloは今すぐ味付きのUSBメモリを発売すべきだ。できればチョコミント味。何故なら、僕はチョコミント味が好きだから。

 

 書かなきゃいけない報告書が残っているのを思い出しました。とりあえず、今日も頑張ったので明日も頑張りたいと、そう書きます。本当に「頑張った」のかは僕には分からないけど。