またもや喉が枯れた話

 今月から味噌が有名な某県に来ているが、案の定喉が枯れた。慣れない土地に来ると僕の喉はたちどころにやられる。赤ん坊さえもあやせてしまいそうなガラガラっぷりである。いい加減にしてほしい。同じ過ちを何度繰り返せば気が済むのだろうか。過去の失敗から学ぶ姿勢くらいは見せるべきだ。なあ僕の喉、僕はお前に結構期待しているし、それにお前のことを内心非常に頼りにしているんだよ。お前がいないと僕は生きていけないから。
 で、加湿器を買った。電気ケトルに兼ねさせるような愚かな真似はもうしない。二か月前の僕と現在の僕には大きな隔たりがあり、それは一言で言ってしまえば「金がある」ということだ。僕には金がある。金を稼いでいるのだ。この腕で、この足で、この頭で、僕は賃金を頂戴しているのだ。今まで金を稼いだことのないひよっこどもには到底分かりえないだろうが、これは本当に素晴らしいことだ。何一つ仕事らしい仕事はしない勉強ばかりの日々とはいえ、それでも僕の将来に期待して給料を支払ってくれる人がいる。僕は一人で生きていける。自分で稼いだ金でラーメンも食べられるし、喉枯れも癒せるのだ。この事実は、それだけで僕の人生を結構楽しくしてくれるみたいだ。

 新入職員といえば、有名なのが名刺交換と電話応対だろう。僕は前者が好きで後者が苦手だ。相手の顔が見えているかどうか、これが大きい。言葉は相手に届いて初めて意味を成す。相手の顔が見えているならばそこに向かって言葉と名刺を差し出せばいいのだが、電話の場合はそうはいかない。受話器の向こうにいる見知らぬ人間を僕は未だにうまく想像することができない。白く漂う霧に向かって僕は喋る。霧をいくら見ていても言うべき言葉は見つからないから、頭の中を必死に探さなければいけない。これが苦手だ。電話を通しての対話は、見えない部分をすべて頭でカバーしなければいけない。僕の頭はそれが難なくできるほどは上等にできていないし、電話に慣れられてはいない。
 今ではほとんどの人が「LINE」を利用している。確かに便利な代物だけれど、あれが原因でのトラブルも多いと聞く。LINEではインスタントに言葉を送受信できるおかげでまるで相手と会話できているかのようなやり取りが可能なのだが、果たしてそれは「会話」になっているのだろうか。相手の顔が見えているような錯覚に陥っていないだろうか。僕はLINEがあまり好きじゃない。あれで意思疎通がうまくとれた試しのほうが少ないからだ。それでも四六時中白と緑の画面とにらめっこしている人が多いのは、「友達と会話ができるから」が理由なのではなくて、とにかく誰かと繋がっていられる安心感のほうが大きいんじゃないだろうか。そんなことを、ピロピロ鳴るスマートフォンを部屋の隅に押しやりながら僕は考えていた。