「コテージの幽霊」

 ここらで一つ、僕が昔見た幽霊の話でも少ししてみようかと思う。丁度折よく、彼のことを思い出したところなんだよ。

 兄貴が中学に入って部活で忙しくなるまでは、よく家族全員で旅行したもんだった。その中で最も楽しみだったのは、毎年八月上旬に訪れていた、湖の傍にあるコテージだ。プールも備え付けているし、近くにくさっぱらや山もあって虫も獲り放題。あの場所はこの世の「夏休み」を凝縮したようなすばらしい場所だったね。
 今からするのは、そこに最後に行った時の話だ。

 コテージに到着するやいなや、僕と兄貴は梯子をつたって二階のロフトに駆け上がった。ロフトは子供たちの場所。いつもそういう決まりだったんだ。今思えば、大人は大人だけで休暇を、特に夜を満喫したくて、うまいこと僕らを隔離していたんだろうな。そういえば朝起きてみたら、いつだって一階のテーブルにはビールの空き缶が大量に並んでいた。
 さて、僕と兄貴は、大人から与えられたその秘密基地で、この先何をしようかと計画を練った。やりたいことやできることが多すぎて、なかなか決まらなかったね。
 それでさ、とにもかくにもまずはプールに行こうってことになって、リュックから水着を取り出そうとしていた時に、僕はやっと気付いたんだよ。
 ロフトの片隅にいた、見慣れない少年に。
 そいつはとんでもなく凶悪な目つきで僕らの方を睨みつけていて、僕は驚きのあまり変な叫び声をあげてしまった。クラッシュ・バンディクーの断末魔みたいなヤツを。
「何だよ、うっせえな」
 兄貴は僕の頭をはたいた。なんかいる、と僕はあの少年を指差した。「虫か何かだろ」と言って兄貴はプールの支度に戻った。
 どうやら、あいつは兄貴には見えないようだった。
 僕は水着、兄貴、少年と順繰りに視線を配りながら、どうしたものかと考え込んだ。兄貴に見えないってことは、知らない子供が勝手に侵入している訳ではないみたいだ。となると、幻なのか、幽霊なのか、そういうあやふやで訳の分からないものなんだろうな、あの少年はきっと。
 そして散々悩んだ挙句に出した答えは、「見なかったことにしておこう」という実に子供らしいものだった。都合の悪いものや自分で処理しきれないものは、無視するのが一番楽だからね。
 それで兄貴と二人でコテージを飛び出して、プールでハチャメチャに暴れまわったりボールをぶつけあったり、プールサイドにいた信じられない大きさの蛙をどうにかとっつかまえようとかしたりしているうちに、目つきの悪い少年のことは、僕の頭の中からすっかり消え去ってしまっていた。子供の脳みそなんて容量いっぱいのCDみたいなもんだ。新しくものを入れるためには、何か忘れなきゃならない。
 僕が彼のことをようやく思い出したのは、その日の夕飯のバーベキューも終えて、もうすっかり陽が沈んでからのことだった。

「布団、敷いておいたからね」と母親は言った。梯子を登って確認すると、ロフトには二組並んでいると布団と、そして片隅にやっぱりあの目つきの悪い少年の姿があった。
 どうやら、母親にもあいつは見えなかったらしい。ここらあたりで、たぶんあの少年は幽霊で、何かの間違いで僕にだけその姿が見えているんだろうな、と見当をつけた。
 幽霊に睨まれながら眠るのは、さすがに御免こうむりたかった。かといって、下で親と一緒に眠るのもこの年頃としては恥ずかしいし、幽霊がロフトにいるなんて騒ぎ出してこの旅行が中止になるのも断固阻止したいし、そんなことで葛藤しているうちに、僕はあの幽霊がこちらを睨みつけていないことに気づいた。
 幽霊は、その目線を手元にやっていた。いったい何を持っているんだろうと、僕は目を凝らした。
 あいつが持っていたのは、僕がリュックに詰めていたはずの、ゲームボーイカラーだった。
 あの野郎、勝手に遊んでやがる。僕のドラゴンクエストモンスターズを。
 またここでも僕は散々悩んで、そして「まあいいか」と妥協した。貸したままにしておいてやるか、と。返してもらおうにも、幽霊に話しかけるのがちょっと怖かっただけなんだけど。
 まあ少なくともゲームをしているうちはあいつはこっちを睨みつけてこないみたいだし、それにゲーム以外にも、このコテージには遊ぶ方法が山ほどあったことだしな。
 だから、僕は幽霊のやるゲームの音を聞きながら眠りにつくことになった。兄貴は横になるとすぐに寝息を立てていた。どういう仕組みになっているのかわからないけれど、幽霊が立てる音さえも僕以外には聞こえないらしかった。
 ボタンがカチカチ鳴る音やBGMは初めはだいぶ耳障りだったけれど、次第に気にならなくなってきた。たまに鳴り響くレベルアップのファンファーレが妙に間抜けで、それを聞いているうちに幽霊に対する恐怖心はちょっとずつ薄れていった。
 てれれれ、てってってーん。

 次の日からも、僕と兄貴は遊びまわった。山に入ってクワガタを探しまわったり、運よく捕まえたカマキリの食糧にするためにバッタを乱獲したり。楽しかったな。あれより楽しいことなんて、たぶん無いだろうと思えるくらいに。
 一方幽霊は変わり映えもなく、ロフトの片隅で黙々とゲームをし続けていた。またこれもどういうからくりなのか分からないけれど、電池切れは起こらないみたいだった。
 外に出たくはならないのかな、と僕は少し不思議に思った。こんなリゾート地に化けて出ているくらいなんだから、遊び足りないあまりにこの世に未練が残っているんじゃないか、なんて僕は想像していたから。
 結局最終日まで幽霊は僕のゲームボーイを勝手に拝借したままで、僕はそれを取り返せないままだった。一度勇気を出して声をかけてみたけれど、あいつは全く聞く耳持たず、こちらを一瞥さえすることさえなかった。僕のちっぽけな勇気はそこで完全にぽっきり折れてしまった。
 帰り際、リュックに荷物を詰め込みながら、僕は恨めしさを込めてあいつを睨みつけた。幽霊は我関せずとゲームをし続けた。全く、どちらが幽霊なんだかわかったもんじゃない。
 レベルアップのファンファーレが間抜けに響いた。
 てれれれ、てってってーん。

 そんなこんなで幽霊にゲームボーイを借りパクされてしまった僕は、旅行から帰ってきた後、親にこっぴどく叱られる羽目になった。
 次のゲームボーイアドバンスを買ってもらうまでには、結構間が開いてしまったっけな。その間、僕は友人のするゲームの話題にちっともついていけなかった。
 ちくしょう、幽霊のやつめ。
 子孫代々まで祟ってやるからな。

 さて、以上でこの話は終わり。
 結果としちゃあ怖くもなんともなくて、僕がただゲームボーイカラーを失くしたってだけの話だ。
 年を重ねるにつれて、僕は自分の記憶に自信がもてなくなってきた。あの幽霊は本当にいたんだろうか? もしかしたら、ゲーム機を失くしてしまった自分を慰めようとして、勝手な物語を思い出に上書きしてしまっていただけなんじゃないだろうか?
 そんなことを考えていた矢先だ。この前、押し入れからゲームボーイカラーが見つかったんだよ。十数年前に失くしちゃったヤツ。なんでこんなところにあるんだろう、と首を傾げながら僕は電源をつけてみた。
 ピコーンと音が鳴って、ゲームボーイは起動した。ドラゴンクエストモンスターズのタイトル画面をAボタンで飛ばすと、プレイ時間がカンストしたデータが、消えることもなく奇跡的に残っていた。
 僕はデータを読み込んでみた。パーティには、へんてこな名前のついたモンスターが三匹並んでいた。
 「かして」「くれて」「ありがと」。
 どういたしまして。
 お前にこれを貸すつもりは、僕には全く無かったけどな。