ぐるぐるする話

 働いて得たお金が生活するために消えていく。
 これは至極当たり前のことなんだけれど、妙にむなしいことのように感じてしまう。満足した生活を送るためには、生活のうちのそれなりの割合を労働に捧げなきゃならない。生活のために労働があったはずが、気付いたら労働のために生活することになっている。
 労働が先か、生活が先か。
 生活を諦めてしまいさえすれば労働もしなくて済むけれど、生憎僕は最低限文化的な以上の生活を送りたくて仕方がなく、美味いコーヒーも飲みたけりゃ本とCDを棚にズラリと並べたいし、となると現在預金残高二万円の僕は当然労働を辞めるわけにはいかないので、結局は回し車の中のハムスターみたいに労働と生活の間をぐるぐるぐるぐる走り続ける。
 ぐるぐるぐるぐる。

 まあ、こういった感じに同じ場所を回っているのは、別に労働と生活に限った話じゃない。
 あらゆる製品は消費するために製造されて製造された分だけ消費され、僕は起きるために寝てるのか寝るために起きてるのかよく分からない状態で、中学生じみたことを言ってしまえば人は死ぬために生まれ生まれたがために死ぬのだ。なんてこった。一周200mの狭いグラウンドの中で持久走をし続けているみたいだ。あるいは終わりなきメリーゴーランド、はたまた延々続く反復横飛び、まあなんだっていいけれど、とにかく僕は目を回してしまいそうになっている。
 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

 

 と、ここまでくらいが昼休みにウトウトしながら考えてたことで、そしたら隣に座っていたおっちゃんに声をかけられた。

「自分、新入職員か」

「あ、はい、そうッス」

 名前、出身とありきたりな自己紹介を挟んで行われた会話は、おっちゃんの「しばらくは大変だろうが、のんびりやりなさい」という言葉で〆られた。
 のんびりやりなさい。
 素晴らしい言葉だった。
 目が覚めたね。ミンティアが1ダース束になっても敵わないくらいの目覚めっぷりだった。どうやら余計なことばかりを考える悪い癖がまた出ていたらしい。
 二日前、狭い島を自転車でひたすら走り回ったり野良猫と戯れたりしていたときの気持ちをもう忘れてしまっていた。あの時は楽しかった。そうだった、楽しいことって山ほどあるんだった。
 たとえこの先労働の生活の間を行ったり来たりしていくしかないのだとしても、でもそれは同じ場所を回り続けているわけではない。少しずつ景色は変わっていく。単調な道ではないし、道端には何か面白いものが落っこちているかもしれない。少しポエティックな表現をすれば、多分そういうことになるんだろう。
 とにかく歩けばいいんだ。
 そうしたら、人懐っこい野良猫くらいには会えるかもしれないんだからさ。

 

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