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「非平面上の非直線」

 y = x。

 あまりにも代表的すぎるそんな一次関数に自分をなぞらえることを許してもらえるなら、あの少女はきっと y = 2x - 15 のようなものだったのだろう。

 ポケットに手を突っ込みながら口を半開きの間抜け面で変わり映えのない一本道を歩いていた僕は、x = 15 における交差点とも言えないような路地と路地の出会い頭で彼女と衝突した。彼女が食パンを咥えていたとか、「ちゃんと前を見て歩きなさいよね」と文句を言ったとか、「遅刻、遅刻~」と言いながら慌てて駆け出していったとか、そんな設えられたテキストがあったかどうかは記録に残していないのでよくわからない。一瞬で僕らは擦れ違っていった。(x , y) = (15, 15)の地点に二直線の交点だけを残して。

 勿論、その後学校で「あ、あんたはあの時の!」「げえ、今朝の暴力女!」なんてシナリオ的イベントが起こるはずもなく、そもそも女子高生すら存在しない男子校で僕は英語の小テストを再試験ギリギリでこなしながら午前中の授業を眠り半分で過ごし、午後の体育でヘロヘロになって最後の時限はやっぱり眠り、そしてそのままテクテク歩いて家に帰った。少女と衝突した地点は地理的には変わらずそこに存在していたけれど、xは止めようもなく進行していて、既に僕は前進してしまっていた。そこに再び交点が生じる可能性など連立方程式を幾らこねくり回そうが生じようもない。

 振り返っていたってどうしようもないから、僕は歩いた。xは進み、伴ってyも上昇し、しかし僕以上のペースで上昇していく少女のことを僕はやっぱり間抜け面で見上げるしかなかった。

 この先、僕らの距離は開いていく一方なのだろう。僕の行くこの直線をどうにか捻じ曲げてみたとして、彼女の行くあの直線とまた半端な角度ですれ違うだけだ。すれ違って、また捻じ曲げて、僕の行き先は一体どこになる?

 そこまでするほどのことじゃない。

 しばらく進み、離れていくことを確認し、しょうがないさって呟いて、僕は勾配一定の面白みのない直線を歩いていく。

 

 *

 

「しょうがないさ、なんてことを、昔の僕は思っていた」

 僕は言う。満員電車の中で、僕は通勤中だ。あの交点が x = 15 で、そう呟いたあの日を x = 24 とするなら、今は x = 28 くらいだ。

「そりゃあ、君が y = x だなんて、それはちょっと傲慢に過ぎるもの」

 かつて少女だった女性が言った。向きを変えることもままならず、僕らは背中合わせで互いに顔を合わせることなく、周りの乗客の迷惑にならない程度の声で会話をしている。

「傲慢だよ。滑稽でもあるし、不遜だ。冒涜だと言ってもいい」

「冒涜」僕は繰り返す。

「凌辱と言ってすらいいかもしれない」

「凌辱」僕は少し落ち込む。

「君は間違いなく、一次関数で表せるような神性の高いものじゃあない」

「凌辱は言いすぎだろ」僕は苦情を述べる。

「君も、私も、だ」苦情を無視して彼女は続ける。「式で表せるなどと、思い上がりも甚だしい。二次でも三次でもないもっと滅茶苦茶なもので、xとyが一対一対応である必要もない、そもそも変数はxとyだけじゃなくて最低限zくらいはあるだろうし、pだのqだのαだのωだの、多分Δとか∇とかも影響していて、ともかく我々程度の知識の持ち主が踏み込んではいけない領域に君は入ろうとしたのだよ」

「よくわからない」

「そういう時は、とりあえず謝っておいたほうがいい」

「ごめんなさい」

 ドアが開いた。多数の乗客が電車の出口になだれ込み、その流れに乗って彼女も電車を降りる。

 僕は動かない。僕の行く駅はもっと先だからだ。

 挨拶も何も交わさずに、僕らはまた離れていく。

 そんな風にして、xもyもzもない、僕には法則性の読み取れないしっちゃかめっちゃかに入り組んだ醜い線と線の幾つか目の交点を通り過ぎて、息苦しい満員電車に揺られながら僕は先へと進んでいく。

 この先のことは一切予測できないけれど、その入り組んだ二つの線が寄り添って存在する領域が少しくらいはあるといいな、と僕は願う。