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「廊下に立つ」

お話

 廊下に立たされることになった。居眠りしていたせいだ。

 こんな刑罰が実在するなどとは驚きだ。のび太くん以外誰も体験しないものだと思っていた。

 とりあえずはテンプレートに則り両手に水の入ったバケツを持ってみたが、これに何の意味があるのか実行している僕にも分からない。この状態で反省がてら、さきほど追い出された物理の授業の復習を行うことにする。バケツの質量をmとして右手にかかる重力はmg、左手にかかるのも同じくmg、僕に罰としてのしかかっているこの重みは合計2mg。僕の実力で理解できるのはここまでだ。

  既に左腕がmgに耐えきれず震えてきた。一時限分の時間が経つころには僕はきっと疲れ果ててしまうだろう。そうすると次の授業で僕はより強い眠気に襲われることになり、つまり両手にバケツは居眠りをした罰としてあまり適当とは言えないのではないか。

 一度バケツを廊下に置いた。2mgがゴトリと音を立てた。置いたのは思案に集中するためだ。早くも僕の腕に限界が訪れたわけではない。

 先生が話す声と、チョークが黒板を叩く音が背中側から聴こえてくる。その物音に、僕は少し寂しくなる。

 一つ席の空いた教室では、普段と変わることなく授業が進んでいっているのだろう。あのだみ声ハゲ、いや先生が書き連ねる文字を生徒たちがせっせと写し、時々練習問題を解く。問題を前に出て解くように言われた生徒がお決まりのように「わかりません」と答え、その後ろに座る生徒も「わかりません」と言う。それが三回続いた後に仕方なく自分で解き始めるあの先生の教え方は、どちらかと言えば分かりにくい。

 なるほど、廊下に立たされるという罰は、こうやって自分の不在が他人に大した影響を及ぼさないことを思い知らせるためにあるらしい。僕がいなくとも授業は成り立つ。自らが廊下の隅に転がる埃と変わらぬ些末な存在であることを悟り、鼻の奥がツンと痛んだ。

 僕は反省した。凄まじく反省した。

 そしてこの反省の姿勢を示すためには、生半可な廊下の立ち方では力不足であるとの結論に至った。凄まじく反省しているからには、同じく凄まじい廊下の立ち方をしなければならないに決まっている。

 足元のバケツを見る。バケツを両腕に提げながら廊下に立つなんて、誰もが簡単に思いつきそうな立ち方は問題外である。もっと強烈な負荷をかけるべきなのではないか、と鉄球を両手に持つ立ち方を考案してみたが、そもそも学校の廊下に鉄球はない。

 他にも剣山の上に立つ、硫酸の海の中に立つなども考えてみたが、実行不可能なものばかり考えても仕方ないだろう。

 とりあえずはできる範囲で、片足立ちをしてみる。フラフラする。傍からみると遊んでいる様にしか見えないということに気付いたので止める。

 続いて逆立ち。腕がプルプルし、次第に頭に血が昇り、僕はバランスを崩して廊下に思い切り身体を打ち付ける。ベタン、と比較的大きな音が鳴る。僕は急いで通常の二足直立状態に戻り、すぐさま教室の扉が開いて先生が顔を出す。

「何やってんだ」

「廊下に立ってます」

「ふざけているんじゃないだろうな」

「とんでもございません、僕は真面目に廊下に立とうとしているのです」

「正しい日本語はとんでもないことです、だ」

 先生の頭が引っ込み、扉が閉まる。僕はホッとする。

 ここまでやって気付いたのだが、ただ立ち方を少々変えてみるだけではどうやっても“凄まじい立ち方”にはならないだろう。“少し変わった立ち方”になるだけだ。それでは駄目だ、求めているのは僕のこの尋常ならざる反省を伝える“尋常ではない立ち方”なのだ。

 さてどうしたものかと頭を捻り、頭が二回転半したところで唐突に天啓が訪れる。なにも難しく考える必要はない。僕は、ただ廊下に立てばよいのだ。

 無論、漫然と廊下に立ってはならない。純粋に廊下に立つ。廊下に立つ以外の行為を全て遮断し、廊下に立つことの純度と密度を高め続けるのだ。

 そうと決まればバケツなんぞ邪魔になるだけだ。手洗い場に行って中の水を流す。さよなら2mg。

 僕は教室の外の定位置に戻る。既にこの場所に立っていると安心感を覚えるようになっている。良い傾向だ。この調子で、廊下に立っているのが自然なことである状態まで持っていくのだ。

 目を閉じる。廊下に立つために、視覚は必要ない。続いて聴覚も遮断しようとするが、残念ながら僕は耳を閉じることはできない。代わりに聴覚から意識を外し、全意識を脚にのみ集中させる。

 今の僕に必要なのは、廊下に立つこの脚だけだ。他のすべてはもう不要なものだ。

 大きく深呼吸する。息を吐くごとに、一緒に体の力を抜いていく。呼吸の速度を次第に遅くしていく。呼吸しているのかどうかわからない程度まで。

 やがて、僕は何も感じなくなる。暗闇と静寂の中に僕はいる。身体の輪郭が曖昧になり、溶けて外界と混ざりあい、流れていく。他の何もない、ないことさえ存在しない虚無の中で、ただ僕の脚だけが確固たる実体を保ち、廊下に立ち続けている。

 既に僕に罰を受けているという意識はない。罪を贖うために廊下に立っているのではなく、僕は廊下に立つために廊下に立っている。廊下に立つという行為の追求。純粋な、最も純粋な“廊下に立つ”。他の何事も僕とは関係なく、もはや僕自身すら関係なく、ここには“廊下に立つ”という行為のみが存在する。

 後は僕の意識をすり替えるだけだ。意識的に廊下に立っているのでは不純物が紛れこんでしまい、真の“廊下に立つ”を体現するには至らない。意識さえも不要だ。脚と廊下のみがこの場に存在を許される。

 廊下に立つ。その行為のみで意識を満たし、他の何物も入り込む余地を消し去ってしまうのだ。

 僕は廊下に立つ。

 僕は廊下に立つ。

 僕は廊下に立つ。

 僕は廊下に立つ。

 廊下に立つ。

 廊下に立つ。

 そして、僕は廊下にーーーーーー

 

 

 突然強い衝撃を受け、僕は自分自身を思い出す。急激に世界が輪郭を取り戻し、色彩が周囲に宿り、音が空間を満たしだす。

 引きずり戻されたのだ。こちらの世界に。

 何が起こったのか分からず目を白黒させていると、目の前にはなまはげがいた。

「寝んな」

 勿論それはなまはげではなく、怒りに顔を赤くした先生だった。その手には丸めた教科書があり、どうやらそれで頭を叩かれたらしい。

「良い度胸してんな、お前」

「いえ、寝ていたわけではないのです。僕は著しく反省しております。猛省に次ぐ猛省の上、“廊下に立つ”という罰の意味を真摯に受け止め、それを忠実に実践しようとした結果……!!」

「やかましい」

 先生は数秒考え込み、言った。

「グラウンドにでも立ってろ」

 

 *

 

 力強い北風と舞い上がる砂埃に打ち付けられながら、僕はグラウンドに立っている。

 時折体育の授業を受けている下級生たちが好奇の視線をこちらにぶつけてくるが、これも罰の一部である。耐えねばなるまい。むしろ少し気持ちよくなってきた。

 さて、このような状況を鑑みれば、“グラウンドに立つ”ことを追求するのは“廊下に立つ”ことを追求するよりもいささか難易度が高いと考えるのが妥当である。しかし、先ほど“廊下に立つ”の最奥をのぞき込みかけた僕だ。成し遂げることができるに違いない。懸念されるのは達成する前に先生に見つかってしまうことだが、それは仕方ないものとして諦めるほかないだろう。

 もし僕の瞑想が、居眠りであると再び先生に見とがめられた場合、どういった処罰が下るのだろうか。次は校舎外だろうか。もしその次は町外、次は市外と追い出され続けるとしたら、最終的に僕は宇宙に立つことになってしまうだろう。まあしかし、その場合も問題はない。宇宙旅行が幼いころの夢だった。

 息抜きはこのくらいにしておこう。いつ再び先生が巡回に来るやも知れぬ。その前に僕は成し遂げなければならないのだ。

 目を閉じて大きく深呼吸する。

 そして僕は、グラウンドに立ち始めた。