ココアの話

 最近、頭痛がひどい。頭痛というかなんというか、鈍い痛みが顔の左側を移動する。頬骨が痛むかと思えば次はこめかみの奥がずきずき疼き、やがてそれが頭の上まで這い上ってくる、これを繰り返す。行ったり来たりで節操ない。俺の落ち着きのなさを継承したんだろうか。ペットは飼い主に似るというが、痛みが痛み主に似るという話は寡聞にして聞いたことがない。

 頭痛の一つの原因はカフェインですよ、そうネットの妖精がささやくので、コーヒー断ちをすることにした。毎日職場までインスタントコーヒーを詰めたステンレスの水筒を持っていき、春頃に美味いコーヒーを飲みたいがためにネスプレッソを買った俺がここでまさかのコーヒー離れだ。めっきり使われなくなったエスプレッソマシンが寂しそうに部屋の片隅に鎮座しているが、ここは諦めてもらうほかない。人間は誰しもが孤独と戦っている、だから、お前も。

 で、コーヒーの摂取量をできる限り減らして一週間。頭痛はだいぶマシになった。結果としては良好であったが果たして頭痛が本当にカフェインのせいだったのかどうかは不明であり、そこを詳細に明らかにするためには厳密な対照実験が必要となる。つまりは俺を二人用意し、コーヒー漬けにした俺とコーヒー断ちした俺に丸っきり生活を送らせる。同じように出社し、レポートを書き、上司に怒られ、金曜の夜には安い居酒屋で腹がはち切れるまで飯と酒をかっくらうのだ。しかし現実的に俺は一人だけで、二人いても持て余す。この案はお蔵入りだ。

 そんな感じで頭痛は落ち着いたのだけれど、如何せん口さみしい。休日、コーヒーをずるずる啜りながら読書に励むのが俺の至福の余暇だったわけだが、コーヒー断ちしたお陰で啜るものがない。他に啜れそうなものはといえばカップラーメンか鼻水くらいであり、どちらも日常的に啜るのは御免被りたい。

 そこでココアだ。液体だし、色も黒っぽい。ほぼコーヒーであると考えて差支えない。コーヒーの代替品ではなく、これは甘くてカフェインが少ないコーヒーである。そういう特殊なコーヒーの一種である。そう自分に言い聞かせながらスーパーの棚の前で森永とヴァンホーテンをにらみつけ、どちらにしたものかと悩んだ挙句にヴァンホーテンを選んだ。名前が格好いいからだ。

 部屋に帰り、マグカップに粉末をドバドバ落とす。コーヒーにしてはやけに量を要求してくるなと思いつつ、そこに低脂肪乳を注ぎ込んで、電子レンジの中に収める。ボタンを押して、あと数分待てばコーヒーっぽいものの出来上がりだ。

 電子レンジを開けたら、沸き立ったココアが電子レンジをココア浸しにしていた。

 反逆だったのだろう。俺はそう思う。コーヒーコーヒーと呼ばれ続け、自身の名前をちっとも呼んでもらえなかったココアの、ささやかな反逆。ぼくはコーヒーじゃない、正しい名前を呼んでほしい。そんなココアの心の奥底にたまった不安が、電子レンジの中で加熱されるにあたり溢れかえったのだ。

 ココアでべたべたになった電子レンジを、俺は布巾で優しく拭いた。それから机の上のマグカップに向かい、ごめんな、と声をかけた。ココアを一口啜る。温かいココアは甘く、優しく、口の中に広がった。それはまるで全てを赦してくれるかのようだった。