置いてけぼりの話

 泣き上戸を発症した。職場の送別会、二次会の途中から俺は鼻をすすりはじめ、店を出て解散するかというところで遂にボロボロ泣き出した。頬を涙に濡らしながらタクシーに揺られて帰り、部屋に入るや否や布団に倒れこんでひとしきりしゃくりあげ、それからベランダで煙草を二本吸った。そのころ、ようやく涙は止まった。耐えようのない衝動のようなものも薄れだしていたが、その代わり酒といまだに慣れない煙草のせいで軽い吐き気を催しており、粘っこい唾液だけを洗面台にぶちまけてからもう一度布団に入り、眠った。

 いつだったっけな、と早朝に目覚めて思う。前に泣き上戸を患ったのは。酒が入るといつも泣きたくなるわけではない。むしろかなり稀なケースだ。前回がまだ学生の時分であったのは間違いない。実家のマンションのエントランス手前にある、公園とも呼べないような小さなスペース、そこにおいてある動物の乗り物とベンチのうち、ベンチの上に横たわって、先ほどのようにしゃくりあげていた。家族に泣き声を聞かれるのはさすがに恥ずかしかったのだが、泣き場所を選べるほどその時の俺には余裕がなかったのだと思う。どんな知り合いが通りがかるかわからない場所で、俺は小一時間ばかり泣いていた。理由は、忘れた。

 今日、というか昨夜。俺は自分が泣いた理由を考える。心当たりが多くて絞り切れない。自分が未だに仕事のやり方をつかめていないこととか、同期たちはそれぞれに自分の仕事をこなし始めているらしいこととか、未だに職場では委縮してしまっていることとか、散々怒られた上司が来月から異動することとか、他部署の上司に軽い説教と励ましを頂いたこととか、いつもぶっきらぼうな先輩がアイスをおごってくれたこととか、近頃常に靄がかかったように思考が霞んでいることとか、先日縁石にひっかかってすっ転び自転車のライトを壊してしまったこととか、水泳用の水着がもう何か月もベランダに干したままにしてあることとか、ギターが部屋の片隅で埃をかぶっていることとか、昔好きだった子がどうやら結婚するらしいこととか、仲のいい友人が東京に引っ越してしまい簡単には会えなくなることとか、昔のように小説や音楽を楽しめなくなっていることとか、そして俺がいくら感傷に浸ろうが、明日からも何も変わらないということとか。些末なそれらが、きっとそれぞれに辛いのだ。

 

 書きたい、と思っている話がいくつかある。と、言いながらちっとも書き上げないのが俺の最も醜悪な点である。書いては消し、書いては消し、話の展開に詰まって放り投げ、読み返した時のつまらなさにファイルごと抹消する。分かっている。俺に足りないのは小説を書く才能ではなくそのもっと前の段階であり、言うなれば努力や根気や計画性、あと自信だ。

 全部放り出して、布団に寝転ぶ。俺は俺の空想を頭の中で反芻する。それは例えば空を塗り続ける男の話だったり、ゴミの降る街に暮らす少年の話だったり、野良兵器の上にまたがって釣りに行く少女の話だったり、右も左もわからない街に流れ着いた男の話だったりする。全く形にならないそれらを思い返していると、皆一様にある種の「置いてけぼり」を抱えていることに気付く。

 俺は置いてけぼりにされたものが好きなのだ、と思う。自分がそうされていると感じているからなのかもしれない。上司や先輩に、同期に、友人に、昔好きだった人に、本や音楽にも。俺が周囲に抱いている違和感をできる限り感傷的に表したものが「置いてけぼり」という一言になり、そしてその違和感を形にすることができない俺は、「置いてけぼり」すら置いてけぼりにする。あるいは、置いてけぼりにされる。後に何が残るのか、俺にはわからない。