歯医者再通院、の話

 前回の治療の際には見過ごされていた虫歯が痛み出したので歯医者に行ったところ、これは歯を抜くしかないですね、と言われた。

「ああ、FF5の主人公ですか」

「それはバッツ、今からするのは抜歯」

 これで続けざまに三本の歯が虫に食われてしまったことになる。いくら何でも食われすぎだと思う。ミュータンス菌界隈のネット掲示板で俺の歯の味が評判になっているのではないだろうか。このままのペースでいけば世界三大珍味に名を連ねるのもそう遠い日ではない。即ちキャビア、フォアグラ、俺の歯である。

 少し待ってくれ、と俺の歯を掘り出さんと鼻を近付けてくる汚い豚を払いのけながら、俺は苦情を申し立てる。俺の歯は20数本しか現存しておらず、しかも再生されない。そんな限られたものを珍味に数え上げてしまうのはいかがなものであろうか、それに歯がなくなると実生活上において俺が困る。

「そんなことを言うならさ」とは、いつの間にやら俺の隣に現れたブクブク肥えたガチョウの言である。「俺の肝臓なんか一つしかないうえに、取られたら死んじまうんだぜ。それに比べたらお前の歯なんて、大した犠牲でもなんでもねえよ」

 ガチョウに言われたらおしまいだ。俺は俺の歯の収穫を甘んじて受けなければならない。俺は俺農家の俺小屋に飼われ、俺の歯が食用に値するまで大切に育て上げられた挙句、全ての歯を抜かれてしまうのであろう。大切に育て上げてもらえるのはありがたいことだが、その対価が歯全部であることを考えると、天秤がどちらに触れるのかは現時点では判断しかねる。

 天井を見上げながらそんな空想に浸る俺に、「じゃあ抜きますね」と歯科医が繰り出したのは巨大なペンチ。「おかしくはないですか」と俺は言う。「コップを置けば水が注がれる無駄ハイテク装置が跳梁跋扈するこの院内にて、治療の重要なステップである抜歯がこの期に及んで力技。全自動歯抜きマシーン(無痛ver.)などは存在しないのですか。まずその無骨なペンチを人に向けるのをやめていただきたい、工業用具が人を対象として振舞われるのは拷問時を除いて他にない。あと歯医者の天井というものは患者に見上げられる時間が非常に長く、そのため他の天井と比べてエンターテイメント性が要求されると思うので、全面をディスプレイ張りにしてカートゥーンネットワークで放映されていたデクスターズ・ラボを一挙放送するというのはどうであろうか、今一度ご検討願いたい」

「しゃらくせえ」

 歯科医はペンチを俺の口内に突っ込む。怖い。ただひたすら怖い。なんだこの威圧感。これほどの恐怖を感じるのは、桃鉄で貧乏神がキングボンビーに変身するのを見て以来である。しかしその恐怖は意外なことに長くは続かず、数度の揺さぶりを加えられたのち、歯はタケノコよりもあっさり抜けた。俺は安堵の涙を流す。

 抜かれた歯は側面に大きな穴が空いており、なるほど痛むのも納得である。しかしこんなになるまでミュータンス菌が俺の歯を味わい、腹を満たしたのであると思うと、俺は少し優しい気持ちになれる。何もできない俺にも、ミュータンス菌を救うことはできるのだ。

「いえ、ミュータンス菌は歯垢を酸に変える働きを持っており、結果として酸で歯に穴が空くだけで、ミュータンス菌が歯を直接食らっているわけではないですよ」

「俺の感傷を台無しにして楽しいですか、先生」

 上の歯は下に向かって投げ込むと良い、そういう日本の言い伝えがあるので、あとで802号室に投げ込んでおくことにしようと思ったが、アメリカの伝承曰く、枕の下に敷いて眠れば翌朝歯の妖精がコインに変えてくれるそうではないか。さっそくネズミ捕りを購入し、俺の歯とともに枕の下に仕掛けておいた。明日になるのが楽しみだ。歯の妖精が持っているコインを根こそぎ奪った挙句、動物園にでも売り飛ばそうと思う。