お痒いところを伝えられない話

 どこかお痒いところはございませんか、と美容師さんにそう聞かれる度に、僕は「いえ、大丈夫です」と答える。実際に大丈夫で、僕の頭に痒いところは一つもない。

 痒いところがあります、そう答える人がいるのだろうか? 頭部のどこかしらかに痒いところがあり、そこを美容師に掻いてもらいたいと願う人。僕はいまだにお目にかかったことがない。

 僕は想像する。お痒いところがある場合を。美容師の頭が僕の髪の毛を優しくはい回り、泡まみれにしている。それはとても心地が良いのだが、しかし頭の一部に妙な違和感がある。むずむずとする、小さな羽虫がそこに止まっているような、嫌な感覚。微かなものでもいいから、そこに刺激を与えたいと、僕はそう願ってしまう。刺激を欲するだけの哀れな家畜である。

 そこで折よく美容師が尋ねる。

「どこか痒いところはありませんか?」

 はい、あります。僕はそう答えようとするだろう。しかしここからが問題だ。

 僕は、自分の頭の痒む部分を、正確に相手に伝えきる自信がない。

 考えてみてほしい。僕の両手は胸の上で白いタオルに覆われており、指で場所を指し示すことはできない。美容師さんに痒い場所を伝えるために使用できる手段は言葉だけである。しかし僕に頭のとある一か所をピンポイントで描写するほどの語彙力が備わっているだろうか?

 きっとこうなってしまうことだろう。

「あの・・・・・・痒い場所があります・・・・・・」

「どこが痒いの?」

「頭の後ろの方の・・・・・・ちょっと右側の・・・・・・」

「もっとちゃんと言ってくれないとわからないよ、ここかな?」

「違います、あの、もっと右の後ろ・・・・・・!」

「ここ?」

「あっ! そこです・・・・・・!」

「こうしたら気持ちいいの?」

「気持ちいい・・・・・・!」

「ここ、なんて言うの?」

「わかりません・・・・・!!」

「わからないことはないでしょ、ちゃんと言ってみてよ」

「ほんとにわからないんです・・・・・・!!」

「右耳介部後方(みぎじかいぶこうほう)とすらも言えないなんて、恥ずかしい語彙力だな!!」

「そうです、私は恥ずかしい語彙力しか持ち合わせていない卑しい豚です~!!」

 

 はい。

 現実の僕は全然頭が痒くなかったので、さっぱりと泡を洗い流してしまって、軽やかなソフトモヒカンを頭頂に携え、2160円を払ってから店を颯爽と後にしました。

 頭が痒みにくい体質で良かったなあ。