いい風呂とあひるの話

 健康パークの入場料がいい風呂の日記念で1,126円とお買い得だったので、来ている。ダジャレにも人に益することがあるのだと感心している。

 片手に携えているのは2リットルペットボトルの天然水。元気がないときは体の水分をすっかり入れ換えてしまうのがよいという信条を持っており、こいつを飲みきる程度に汗をかくのが本日の目標である。目下のところ消費量は8割程度。水分摂取量のノルマの大体は岩盤浴で臥せりながら文庫本を読むことで消費したが、ちょっと頭痛もしてきているし、正直おなかたぷんたぷんである。残り2割を無理して飲むと逆に健康に悪そうだが、しかし残すのも負けた気がする。負けるってなににだ。ミネラルウォーターにか。くそ、ミネラルウォーターめ。大してミネラルミネラルしてない軟水の分際で。

 健康パークといえば温泉、温泉といえば変わり風呂、例えばよもぎ風呂とかゆず風呂とかワイン風呂とか、ああいった普通の風呂に一品添加したお風呂が結構好きなのだけれど、果たしていい風呂の日、本日の変わり風呂は「あひる風呂」だった。

 それ需要ある?

 香りが良いとか、血行が良くなるとか、そういった副次的作用はあひるのおもちゃには一切ない。せいぜいが多少和むだけである。

 まあせめて多少なりとも和んでいくかとあひる風呂に足を運んだところ、あひる風呂、あひるがめっちゃまばらであった。あひる風呂ってもっと風呂一面にあひるがいるものではないのか。数えるほどしかあひるが浮いていないし、大半がひっくり返って下を向いている。死骸かよ。ここはあひるの墓場なのかよ。和む作用すら失われた今、あひる風呂になんらメリットはなく、なんなら障害物がないぶん普通の風呂の方がマシである。

 そんなあひるの墓場に身を沈めつつ観察すると、どうやら風呂場の水の流れが原因で、一ヶ所にあひるが固まっているようであった。風呂は中心角90度の扇形をしていて、その90度になった部分にお湯の吐出口が設けられている。そこから外周を沿うように湯が流れるため、一周回って吐出口の根本に流れたあひるがひっかかり、溜まるのだ。

 吐出口の横には山のようなあひるに囲まれた老人が、目を閉じて湯に浸かっていた。

 まるで安らかに眠るように。

 あひる風呂は確かにかの老人に安らぎをもたらしていた。あひる風呂のあひる風呂たる意義は確かにここにあったのだ。

 僕は顔を伏せ、見知らぬ老人の安らぎを思って祈る。

 流れてきたあひるが僕の顔にぶつかる。

 

 数分後、老人はうざったそうにあひるを払いのけながら、あひる風呂から上がっていった。

 やっぱ邪魔だったのかよ。