間違いを見つける話

 整合性のない数字の羅列をにらみ続け数時間、増える残業代とともに発見したことは「去年の自分が間違っている」ということだった。

 冗長な計算式の並んだスタイリッシュさの一切ないExcelファイルを根本からつくりかえつつ、ふらりと現れた隣の部署の先輩に愚痴を吐く。「よくあることさ」とすげなく返される。よくあることなのかい? どうだい去年の自分?

「僕は間違えてばかりだろう?」と言うのは一年前の方向に並んだ僕自身で、僕はその言葉に頷かざるを得ない。僕の間違いは一年に一回という程度では勿論なく、あらゆる場面で誤り躓き転がり続けて今に至る。

「少なくとも僕は一つ過ちに気付いた。それは一つ僕が正しくなったということだ」

「そうだね、僕は一年前の僕よりも正しい」

「そうだ、そして僕もきっと僕の一年前の僕よりは正しいはずだ。そうだよな?」

「そうだな一年後の僕。だから一年後の僕の一年後の僕は僕よりもっと正しい。自信を持つことだ」

「そうだ、僕は正しいんだ」

「ちょっと待て」と反対側から声をかけるのは一年後の方向に並んだ僕だ。

「勘違いするな。一つ正しくなったからといって、お前の正しさが何かに担保されるわけではない。むしろこれからもお前は誤り続け、躓き続け、転がり続け、四方八方から否定され続けて生きていくことになるんだ」

「そんな辛い予言をするなよ一年後の僕」

「予言じゃなくて事実だ。少なくとも今の僕にとっては」

「いやしかし、一年後の僕がまだ正しくあれなかったとしても、そのさらに一年後の僕は正しくなっているのかも知れないじゃないか」

「そんなことはないと思うが」

「推測じゃん。一回ちゃんと訊いてみてよ」

「しかたないな」

 一年後の僕が二年後の僕に伝言を頼み、二年後の僕が三年後の僕に伝言を頼み、n年後の僕が少なくとも僕よりn+1箇所は正しくなっているはずのn+1番目の僕の伝言を返してくれるのを僕は待つ。

 しばらくしてから一年後の僕が言う。

「伝言が来たぞ。n→最期の僕から」

「なんて?」

「『割と良い人生だった』ってさ」

 求める趣旨の言葉とは全く違ったが、良いことを聞けたなあと僕は思う。