近況とただの愚痴の話

 調子が悪化してしまい、少し早めで長めの夏休みをいただくことになってしまった。

 めまい、耳鳴り、動悸に吐き気、緊張感からくる身体のこわばりと震え。そしてなにより、どうしようもないほどの虚脱感。こう言った身体的症状が周期的に訪れる。正弦波の底の方。その状態がこの2,3週間ほど続いている。しんどい。なにより厳しいのは解決策がよくわからんってところだ。体力をつけに行く体力がない。頭を使うだけの集中力がない。パフォーマンスが低下している。代謝を上げなければ、エネルギーのインとアウトを増やして回転させなければ、と考えはするのだけれど、いかんせん穴の開いたガソリンタンクのように、燃やすべき気力が一向に貯まらない。とりあえず長風呂だけはして最低限の体調を保っている。

 

 緩慢な絶望。

 前進する気力を失ってしまって、少しずつ僕は置いてけぼりになる。状況は悪化していく。そしていずれ取り返しがつかなくなって、この先のいろんな収支が赤字になると確信してしまう点がいつか訪れる。時間軸を進める価値がなくなると理解してしまう時が。その時ようやく、僕は泣いて喚いて後悔するのだろう。

 

 僕は決してニヒリストではない。ある種のシニシストではあるのかもしれないけれど、そうあろうとしたつもりはない。それらはただの楽な立ち位置だ。画一的な解釈で世界を眺められる。他者への優越を可能にする。それはズルだ。ポテンシャルエネルギー面の底辺だ。僕はそこに陥りたくはない。僕は知っている、世の中にはたくさんの価値で溢れている、面白いものも美しものもたくさんある。なんて素晴らしいんだ。しかし、ただ一つの問題として、それら素晴らしいものを理解し解釈するだけの感性や理性を僕は少しずつ失いつつある。その感覚が緩慢な絶望を僕にもたらす。素晴らしい価値を僕は取り込めないし、生み出せない。そんな風に考えてしまいがちになる。そんな出口のない自省と自虐が渦を巻いて俺を閉じ込める。外はどこだ。

 

 いったん吐き出したから少しはましになるはずだ。

 外出しよう。ちょっとずつ頭を使おう。外を見よう。

 自分の中にも自室の中にも突破口はない。そのことは一応知っている、実践できるかどうかは別として。