山口に帰る話

 明けましておめでとうございます。

 実家のリビングに置いてある真っ赤なソファに、毛布にくるまって寝そべった状態で「あ~、帰りたくねえ~」と呟いたところで気が付いた。
 そういえば去年は、大阪に行くなのか帰るなのか、山口に行くなのか帰るなのか、どっちの表現が正しいのかと悩んでいたのだった。その時は自分の定位置がすでに山口に移っていることを認めたくなくて「大阪に帰る」という言い方に落ち着けたはずだ。翻って今年、帰りたくないという言葉が自然に出てしまったことからも、もう俺の居場所は大部分が山口県の方に奪われてしまったらしい。
 それを自覚してなおさら帰りたくなくなったので、毛布をすっぽり被って「もう俺は帰らない」と宣言した。
 「俺はずっとここにいる、温かい毛布に包まれたまま、何もせず、何も起こらず、ゆっくりと腐敗していくんだ」
 隣にいた母は「腐敗はいいねえ、腐敗したいねえ」と返事した。
 よくはねえだろ。
 暑くなってきたから俺は毛布を脱ぎ捨てた。

 母とは割合仲がいい親子をやっているので、昨日は親戚の家を訪れた帰りに梅田に立ちより、最近スキマスイッチにはまっている母のためにヘッドホンを買いに行った。途中で通りすがったEGOISTの店が福袋を販売していた。
「EGOISTの福袋~、ただいまタイムセールでーす!!」
 EGOISTのくせに、お客様のために福袋を販売していることがちょっと面白いという話をした。
「エゴイストなんやから、もうもっとエゴを出してほしい。在庫で余った靴下ばっかが福袋に詰まっているとか」
「同じニット帽ばっか入ってるとかな」
 こんな与太話に付き合ってくれるあたり、やはり俺の母なのだと思う。
 色々と物色した挙句、パイオニアの7000円くらいのヘッドホンを母は選んだ。お年玉ってことで、と俺が金を払った。自分の得意分野のものを人に買ってあげるのはかなり楽しい。

 都会の人は他人に無関心だ、とありきたりな言葉があるが、俺はそんなことは思わない。個人が他人に対して抱く関心の絶対量は田舎でも都会でもさほど変わらないのではないのだろうか。違いがあるとすれば、人の数だと思う。都会は人が多すぎる。だからいちいち関心を割いていられないのだ。
 こんな数の人間をいちいち気にしていては、生きることははるかに難しくなってしまう。
 肩をぶつけずには歩けない梅田の人混みを抜けながら、俺はそんなことを考えていた。

 帰省して6日。せっかく建物の高さにも通行人の数にも慣れて昔の感覚を思い出したところなのに、もう山口に帰らなければならないらしい。やだやだ。ずっとおうちにいる。せめて従姉の娘(可愛い)を持って帰る。駄々をこねたら母親にしばかれたので、仕方なく荷物をまとめた。
 大阪に戻ってきた初日、ラーメンを食いに行こうと新大阪駅を北側から抜けたところ、「月見バーガー」と落書きされた街灯を見かけた。誰がどんな理由で街灯に「月見バーガー」などと書きたくなったのだろう? 面白くなって写真を撮ったのだが、データが破損していた。仕方ない。これからは「月見バーガー」と書かれた街灯を見て面白がることを帰省の一つの楽しみにしよう。