許さないラスボスの話

 友人に借りていたRPGをクリアした。よくわからないがかつて人間で今は憎悪のみを宿すバケモノになったそのラスボスはひたすらに「許さない……滅ぼす……許さない……ユルサナイ……!!」と繰り返していて、その憎む対象は「ジンルイを……!」とかで広すぎて、いや何をそんなに許さないんだよお前は過激派環境活動家かよ、とか思いながら僕は、クリア前にあんまりこなすべきではなかったらしいサブイベントを経てバキバキに成長していたパーティーメンバーでそいつをぶち転がした。なんか、かつて自分を封印した人類とか全体を憎んでいたらしい。全部をぼんやり憎んでたらそりゃそんなふわふわした許さない感になっちゃうわな、と思いながらカンストダメージ叩き込まれて闇に飲まれていくそいつを見ていた。最後まで全部許せなかったらしい。

 とはいえあれですよ、みんな、なんとなく許さないぞ~って思うことくらいあるでしょ?? 例えば汁っぽいおかずを同梱しててご飯がべちゃべちゃになっているタイプのお弁当とかさ。いやこれはただの俺の好き嫌いなんですけど、まあそんな些細なこの野郎~という思いが積み重なってもう全部ぶっ転がしてやるからな、くらいまで昇華しちゃうことってないですかね。
 まあ俺にはあるんですよ。本当に特にこれといって具体的な憎しみの対象があるとかいやなことがあるとかじゃないんだけどさ。なんかもう、全部ぶっ飛ばねえかな~って思うタイミングが。
 能動的にぶっ飛ばしたりはしないけど、目の前に偶然核のボタンが落ちてたら押しちゃおっかな、くらいには思う。無辜の人たちをぶっ飛ばすのはちょっと申し訳ないけど、まあ誰も彼もが吹き飛んじゃうならもうそれは相対的な幸も不幸もないし、究極的な平和ってそうやって実現するしかねえと思うんだよ。だからもし吹っ飛ばしちゃっても俺のことを許してくれよな。

 俺は全部許さないけどさ。

 

 

 仕事の功罪。

 端的な報連相を心がけるせいで、文章に無駄がなくなっていく。文章に無駄がなくなっていくってことは、思考に無駄がなくなっていくってことだ。効率化。タスクをこなすための処理装置として最適化されていく俺の脳。デフラグされ、断片として頭に浮かんでいた千々のひらめきはゴミ箱に突っ込まれて消去される。さよなら、俺の心の無駄。余裕。猶予。余白。ユーモア。

 おかげでブログもカクヨムもおざなりだ。なおざり? どっちだったっけ。まあいいや。仕事が順調であればあるほど、俺の思考はコンパクトにまとめられ、放出される+αが少なくなっていく。考える量は学生の時より新卒の時より仮ニートってたときより多くなっているのにね。かろうじて日常の会話ににじませるユーモアで俺は俺の感受性を保っている。「ご協力助かります、アライグマタスカル」とかをメール文末に潜ませることで。いや、これ誰かほかの人がつぶやいたやつだろ。借り物のユーモアに頼っている時点で俺はもうおしまいなのではないか。

 音楽を聴く。まだ音楽を心地よいと思えて、それに俺は安心する。

 音楽が染み込める隙間。それが心から失われたとき、俺はもう終わりなのだと思う。そうなったら君が俺を殺してくれ。俺に感性が残されているうちに。政治と芸能ニュースへの文句しか言わないようなおっさんになる前に。

 明かりもテレビも点けたまんまで  疲れて眠ってしまった
 行けもしない旅行の計画を    浮かべながら
 月でも城崎でも何処へでも   飛び交うトラベルプランは
 寝て起きたらいつもの朝が来て    忘れちゃったよ

 

       トラベルプランナー/ハヌマーン