ちやほやされたい話

 最近twiiterのフォロワー数が不穏当な伸びを見せているものだから、僕の自己顕示欲が刺激されている。もっとフォロワーを増やしたい、もっとfav数を稼ぎたい、そういう思いが鎌首をもたげてしまう。構ってちゃんなので。現実ではこんなに人に相手して貰えないし。愛に飢えている。ちやほやされたい。ちやほやされて~~~~!!

 では、どうすれば皆が僕のことをもっとちやほやしてくれるようになるのか。要は「なにやら面白そうだ、見る価値がありそうだ」と思わせればこちらの勝ちなのだけれど、僕のように大しておもしろくもなく、何か秀でた能力も持たず、武器になるほどの豊富な知識もない、こんな何の変哲もない人間がそう思わせるためには一体どうすればよいのだろうか。

 こんなことを大真面目に考えても現実世界で充実した生活を送るためにはなんの参考にもならないけれど、今までSNSを通して学んできた、ネット上でちやほやされるための方針を大雑把に整理してみた(ちなみに、フォロワーを増やすための具体的な手法は某ネタツイッタラーさんや某ネタツイッタラーさんなどがより詳しい。彼らはそれを実践して4桁を軽く超えるフォロワー数を獲得しておられるので)。

 

1. おもしろコンテンツと化す

 これが一番分かりやすい。安定しておもしろさを供給できるようになればいいわけだ。いつだったか実際に言われたのは「ネタにストイックになるべきだ」ということ。いつみても面白い呟き欄を作り上げることができれば、ちょっとした暇潰しに観るテレビ程度には興味を惹きつけることができるだろう。

 ここでネックになってくるのは「安定しておもしろを供給」という部分。僕は自分の面白さを全く信用していない。どこの集団にもそういう人は居るのだろうけれど、喋るたびに場が凍るような悪いスベリ方をするキャラ。あれが僕だ。そんな人間がおもしろコンテンツを目指そうとするなど笑止千万、早晩精神をぶち壊すことになるだろうな。

 

2. 実績を得る

 例えば大喜利の大会で入賞するとか、書いた漫画が評価されるとか、分かりやすい実績を得れば、その人の持つ情報の発信力、およびその情報の説得力は格段に上がる。当然注目も段違いに集めることになるだろう。しかし、これは僕の求めるものではない。僕は労せずしてちやほやされたいのだ。もっとインスタントな快楽を僕は求めているのである。

 

3. コネクション

 自身が凄くないのなら、凄い人達とのコネを持つのだ。影響力のある人のコバンザメになれば、自ずから自分の影響力も上がる(ような気になれる)。長い物には巻かれよ、寄らば大樹の陰、最終的に美味い汁を吸った者の勝ちでヤンス。素朴な疑問なんですけれど、そういう人ってどうやって凄い人達と仲良くなる取っ掛かりを作っているんですかね。

 

4. 人好きのする人間になる

 面白いとか云々置いといて、多くの人に無条件に好かれる人っていうのは居るものです。そういう人物になれば良い。うん、それが出来りゃ世話ねーわ!!

 

5. 見世物になる

 動物園の猿か、はたまたサーカスのピエロか。見ているだけで滑稽でおもしろいものになれば注目の的になることだろう。ただ、これで得られる笑いは暖かなものではない。「ああはなりたくないよね」という、冷ややかで攻撃的な笑いだ。正直なところ、僕はこうなってしまうのが怖くて仕方がない。いや、今でさえも僕は笑われているのだ。「つまんねえ人間なのに」「才能も能力もないのに」「今まで何かを成し遂げたわけでもないのに」「馬鹿じゃないの?」実際に周囲が僕を笑っているかどうかは関係なく、ふとした時に僕の内でそういう言葉がこだまする。

 だからといって、笑われるのを怖がるあまりに何も出来なくなったら、それが一番滑稽なんじゃないだろうか。他人の目線なんて、どこまでいってもそれは結局「他人」であり、自分とは切り離されたものの一側面にしか過ぎないなのだから。したがって、

 

6.気にせずにやる

 おもしろくなるために自分を削ることなく、他人の評価を得るために実績を作るなんてこともせず、周囲のことはあんまり気にせずに、好きなように、好きなことをやる。結局はそれが一番なのだ。「ちやほやされること」は最終目的ではなくて、他の目標や結果に付随して生まれるただの副産物のはずだ。承認欲求は強力な衝動ではあるけれど、しかし承認欲求を満たすために行動することはやはり本末転倒なのだ。やりたことをやる、そのついでに生まれる「ちやほや」、それくらいがきっと僕にはちょうどいい。

 

 以上、ちやほやされることについて、火曜日に待ち受けるプレゼンの練習もそっちのけで考えたことでした。凄まじい自家撞着が起きている気もしますが、気付かないふりをしておきます。