アド街を見た。ほんとだよ。不意に人混みから現れたアド街は、宙をひらひら舞いながら何度か瞬いたかと思うと、フッと姿を消したんだ。嘘じゃない。僕はアド街を、見たんだ。
— 鰐人 (@wani_jin) 2014, 5月 8
アド街を見た。それ以外のことは何も覚えていない。知らないことや解らないことだらけのこの世界は酷くあやふやで、僕自身の存在にさえ自信を持てなくなるけれど、そんなときは繰り返し呟くんだ。僕はアド街を見た。それだけは、確かなことだ。
— 鰐人 (@wani_jin) 2014, 6月 7
アド街を見た。と、爺ちゃんは言う。爺ちゃんは口を開けば誇大妄想気味の昔話ばかりするもんだから、村の人たちは爺ちゃんを嘘吐きジジイって呼んでる。アド街のことだってみんな嘘だと思ってる。でも僕は知ってる。アド街を見たと話すときだけは、爺ちゃんの目が確かに何かを見つめているってことを。
— 鰐人 (@wani_jin) 2014, 10月 19
アド街を見た。アド街も僕を見返して、それから何も言わずに電車に乗った。彼女の目には泣きはらした跡があった。多分、僕らはもう逢うことはない。それは到底受け入れ難いことだったけれど、大人に抗うにはその時の僕らは幼すぎたんだ。またね、と僕は呟いた。その声は電車の発車音に飲まれ、消えた。
— 鰐人 (@wani_jin) 2014, 10月 21
アド街を見た。いや、睨みつけたと言った方が正しいーーアド街の中心部でふんぞり返る醜く肥えた豚共を。奴らを殺せば革命は成る。それはもう目前まで来ている。右手に提げた散弾銃の重みを再確認し、左手でもう隣にいない戦友のドッグタグを握りしめる。それから俺はアド街に向かって、一歩踏み出す。
— 鰐人 (@wani_jin) 2014, 10月 21
アド街を見た。あるいはアド街では無かったのかもしれない。しかし、それはどちらにせよ同じようなことだ。アド街は蜃気楼の如く、視界に収めようとしたその瞬間に掻き消える。ただアド街を見たかのような錯覚を僕らに残していくだけで。その性質は一般的に愛という名前で人々が呼ぶ物と良く似ている。
— 鰐人 (@wani_jin) 2015, 2月 17
アド街を見た。いや、別にイド街を見たって言っても良いのかもしれない。ウド街でもエド街でもオド街でも何でも良い。何らかの文字列を形成しさえすれば、ナニ街であろうと実際それは成り立つのだ。しかし、現実には皆がそれをアド街であると認識している。ならば私も「アド街を見た」と言う他に無い。
— 鰐人 (@wani_jin) 2015, 2月 21
アド街を見た。昨日と比較してアド街は幾分かその領域を広げたように思えた。こうしている間にもアド街は徐々に、しかし確実に我々の街を侵食しているのだろう。まるで癌細胞に喰らい尽くされる人間の臓腑のように、この街はアド街に蝕まれ、消える。私には、その終わりを見届ける事しか出来ないのだ。
— 鰐人 (@wani_jin) 2015, 4月 29
アド街を見た。アド街では母によく似た人と父によく似た人が、一人の少年と手を繋いで歩いていた。彼はやっぱりかつての私によく似ていて、私は思わず歩みを止めた。彼らは私など気にも留めずに通り過ぎていった。彼らの後ろ姿を見ながら、アド街に私の居場所はもうないのだと、なんとなく私は察した。
— 鰐人 (@wani_jin) 2015, 7月 27
アド街を見た。この珍しい街はすっかり観光名所になっていて、誰もが携帯電話を高く掲げて写真を撮る。カシャカシャと薄っぺらい電子音の鳴る中、俺はタバコを吸いながら、アド街のことをただぼんやりと眺めている。安心しろよ。俺はアド街に語りかける。他の誰が見なくとも、俺はお前を見ているから。
— 鰐人 (@wani_jin) 2015, 10月 8
アド街を見た。幾多の困難を乗り越えてやっと辿り着いたアド街は静かに、力強く輝いており、私はそれを掛け値なしに美しいと思った。あれからどれほどが過ぎたろう。この世界は生きづらくなっていく一方だが、しかし私はこの先も大丈夫だ。自信がある。だって私は、アド街を見ることができたのだから。
— 鰐人 (@wani_jin) 2014, 10月 21
アド街を見た。「見てんじゃねえよ」ってガンを飛ばしてきた。「君は見られるために生まれたのだから、見られることに慣れるべきだ」「なんのために生まれたのかもよくわからない生き物のくせにうるせえな」僕は落ち込んだ。アド街も少し落ち込んでいた。お互い謝って、コンビニでアイス買って帰った。
— 鰐人 (@wani_jin) 2016, 1月 29
アド街を見た。それは確かだ。時間が経つにつれ、僕の記憶はぼやけていく。アド街を照らすネオン、路地裏のゴミ箱、剥がれた道路標識、通り過ぎていく人々、かつて見たそんなアド街の景色はいつの間にやらぼやけきって、ちっとも思い出せなくなった。僕はアド街を見た。確かに、そのはずだったんだよ。
— 鰐人 (@wani_jin) 2016, 1月 29
アド街を見た。アド街しか見ていない。この数日間、ずっとだ。テレビをつけてもパソコンを立ち上げても画面に映るのはアド街で、家から出ても交差点を曲がっても橋を渡っても路地裏を抜けても、目の前にはアド街が広がっている。俺はアド街に囚われている。アド街の出口を探して、俺は歩き続けている。
— 鰐人 (@wani_jin) 2016年3月4日
アド街を見た。あれはいつだったっけ。幼い僕が父親の肩にまたがって、夕日が赤く照らすアド街を、半ば微睡ながらも眺めていたのは。今日、久しぶりに訪れたアド街は、記憶よりも少し小さくなっていた。こいつはこの景色を覚えていてくれるだろうか。息子を肩車しながら僕は、そんなことを考えていた。
— 鰐人 (@wani_jin) 2016年3月6日
アド街を見た。というよりも、見上げた。空中にぽっかりと浮かぶあの街は、我が国が技術力を宣伝するために巨額を投じて作り上げた広告塔だ。あらゆる最先端がそこに集い、各国の重鎮を日夜もてなしているらしい。空を泳ぐあの街では、ファンタジーは現実となる。僕には到底手の届かない、虚飾の楽園。
— 鰐人 (@wani_jin) 2016年4月22日
アド街を見た。云十年前の「大災害」により住民は退去を余儀なくされ、この街は今でも立ち入り禁止のゴーストタウンと化している。ここにいるのは鬱蒼と生い茂る木々、生息数を増やした野生の動物、そして空き家にこっそり住んでいる元住民。「それでもね、」と彼女は言う。「ここは私の故郷なんだよ」
— 鰐人 (@wani_jin) 2016年4月24日
正直に言おう、僕はアド街を見たことがない。みんなが随分楽しそうに「アド街を見た」なんて言うものだから、僕もつい見たフリをしてしまったんだ。僕が話してきたアド街は全部偽者だ。嘘を吐いてごめん。でも今となっては、僕はこいつらが愛おしいんだよ。何を割り引いてくれることがなくっても、さ。
— 鰐人 (@wani_jin) 2016年4月24日