半円の重心を求める話

 時間があったらそういう計算をしておいてくれ、と先輩に頼まれたので、ぱぱっと解いてやろうと思い紙とペンを取り出した。

 わからない。ちっともわからない。

 大学生時代初期ならばこんな問題赤子の手をねじり切るくらいに造作のないことだっただろうが、いかんせんすっかり衰えた俺の頭、何かを積分したもので何かを積分したものを割ることくらいしか思い出せない。

 試しに(何かを積分したもの)/(何かを積分したもの)という数式を書いてみて、それを約分して答えは1と求まったのだが、これが正しくないことくらいはさすがの俺も承知している。分子と分母が同じ値なわけがなかろうが、と式を(何かを積分したものその1)/(何かを積分したものその2)と訂正し、それを約分して答えは1/2と求まったのだが、これが正しくないことくらいはさしもの俺も承知している。

 で、あきらめてググった。「半円 重心」で。

http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~t040029/parts/lectures/jushin.pdf  (pdf注意)

 あっさり答えが見つかった。顔も存じ上げませんが、心より御礼申し上げます関西大学工学部の斎藤氏。

 これを印刷し、さも自力で解いたかのような面を引っ提げつつ先輩の机の上にしれっと置いておいたはいいものの、しかし癪だ。昔なら(多分)解けたであろう計算問題が解けなくなっているのは、日々より良い人間となるべく高みを目指している俺にとっては無視しかねる問題である。なので、ちゃんと復習することにした。

 解答を見ながら、式を書いていく。あー、密度×位置ベクトル。そんなんあったな。ベクトルとか久しぶりに書いたな。大学ではベクトルは上に矢印じゃなくて、太字で表してたっけな。rdrdθとかもうどこで区切ればいい式なのかもわかんねえや。そんなことを呟きながら、単純な計算ぐらいは自分の頭で考えて、問題を解いていく。

 答えを出す。4a/3π

 急に、晴れ晴れとした気分になった。

 そういえば、と自分で書いた計算式を眺めながら思う。昔の俺は、こんな計算問題を解くのが結構好きだったんじゃないかな。ごちゃごちゃした数式を計算して変形して何らかの値を導き出すのが昔は得意だったし、好きだったはずなのだ。ここ数年間、「答えのある計算問題」になんて触れてこなかったから、それをすっかり忘れてしまっていた。

 週末から持ち越していた鬱屈とした気分が信じられないくらいに晴れていくのを感じながら、なるほど、俺はこういったものを求めていたのかと合点した。明確な問題設定。着実に前進していくプロセス。思考が整理されていく感覚。唯一の正しい答え。日常生活上では縁遠いこれらをこんなに簡単に味わえるなんて、数学はなんと手軽な娯楽だろうか。

 家に帰るとすぐ、本棚の奥から学生時代に買った物理数学の参考書を取り出した。いつまで続くかわからないけれど、久しぶりに勉強を始めることにしよう。数学なんて何の役に立つんですか、などとほざくガキはいるけれど、少なくとも俺の気晴らしとしては役立っている。

這い寄るネスカフェ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歯医者再通院、の話

 前回の治療の際には見過ごされていた虫歯が痛み出したので歯医者に行ったところ、これは歯を抜くしかないですね、と言われた。

「ああ、FF5の主人公ですか」

「それはバッツ、今からするのは抜歯」

 これで続けざまに三本の歯が虫に食われてしまったことになる。いくら何でも食われすぎだと思う。ミュータンス菌界隈のネット掲示板で俺の歯の味が評判になっているのではないだろうか。このままのペースでいけば世界三大珍味に名を連ねるのもそう遠い日ではない。即ちキャビア、フォアグラ、俺の歯である。

 少し待ってくれ、と俺の歯を掘り出さんと鼻を近付けてくる汚い豚を払いのけながら、俺は苦情を申し立てる。俺の歯は20数本しか現存しておらず、しかも再生されない。そんな限られたものを珍味に数え上げてしまうのはいかがなものであろうか、それに歯がなくなると実生活上において俺が困る。

「そんなことを言うならさ」とは、いつの間にやら俺の隣に現れたブクブク肥えたガチョウの言である。「俺の肝臓なんか一つしかないうえに、取られたら死んじまうんだぜ。それに比べたらお前の歯なんて、大した犠牲でもなんでもねえよ」

 ガチョウに言われたらおしまいだ。俺は俺の歯の収穫を甘んじて受けなければならない。俺は俺農家の俺小屋に飼われ、俺の歯が食用に値するまで大切に育て上げられた挙句、全ての歯を抜かれてしまうのであろう。大切に育て上げてもらえるのはありがたいことだが、その対価が歯全部であることを考えると、天秤がどちらに触れるのかは現時点では判断しかねる。

 天井を見上げながらそんな空想に浸る俺に、「じゃあ抜きますね」と歯科医が繰り出したのは巨大なペンチ。「おかしくはないですか」と俺は言う。「コップを置けば水が注がれる無駄ハイテク装置が跳梁跋扈するこの院内にて、治療の重要なステップである抜歯がこの期に及んで力技。全自動歯抜きマシーン(無痛ver.)などは存在しないのですか。まずその無骨なペンチを人に向けるのをやめていただきたい、工業用具が人を対象として振舞われるのは拷問時を除いて他にない。あと歯医者の天井というものは患者に見上げられる時間が非常に長く、そのため他の天井と比べてエンターテイメント性が要求されると思うので、全面をディスプレイ張りにしてカートゥーンネットワークで放映されていたデクスターズ・ラボを一挙放送するというのはどうであろうか、今一度ご検討願いたい」

「しゃらくせえ」

 歯科医はペンチを俺の口内に突っ込む。怖い。ただひたすら怖い。なんだこの威圧感。これほどの恐怖を感じるのは、桃鉄で貧乏神がキングボンビーに変身するのを見て以来である。しかしその恐怖は意外なことに長くは続かず、数度の揺さぶりを加えられたのち、歯はタケノコよりもあっさり抜けた。俺は安堵の涙を流す。

 抜かれた歯は側面に大きな穴が空いており、なるほど痛むのも納得である。しかしこんなになるまでミュータンス菌が俺の歯を味わい、腹を満たしたのであると思うと、俺は少し優しい気持ちになれる。何もできない俺にも、ミュータンス菌を救うことはできるのだ。

「いえ、ミュータンス菌は歯垢を酸に変える働きを持っており、結果として酸で歯に穴が空くだけで、ミュータンス菌が歯を直接食らっているわけではないですよ」

「俺の感傷を台無しにして楽しいですか、先生」

 上の歯は下に向かって投げ込むと良い、そういう日本の言い伝えがあるので、あとで802号室に投げ込んでおくことにしようと思ったが、アメリカの伝承曰く、枕の下に敷いて眠れば翌朝歯の妖精がコインに変えてくれるそうではないか。さっそくネズミ捕りを購入し、俺の歯とともに枕の下に仕掛けておいた。明日になるのが楽しみだ。歯の妖精が持っているコインを根こそぎ奪った挙句、動物園にでも売り飛ばそうと思う。

タケノコを掘る話

 正直なところ、おれはタケノコを舐めていたのだと思う。

 他部署の上司がなんと別荘を持っているというので、お邪魔することになった。山に分け入り道なき道を走り抜けた先にあるその別荘の周辺では、タケノコがよく生えているという。周辺によく生えているものを無碍にするのも心苦しいので、本日のイベントはタケノコ掘りとBBQに決定した。

 タケノコと言えば思い浮かぶのはあの白い切れはし、煮るなり焼くなりされて食われるだけのただの食糧だが、しかし本日現地に出向き、実際に出会ったタケノコは生半可な迫力ではなかった。所詮は竹の幼少期にすぎぬ、子供の相手などこの程度で十分よと軍手のみでタケノコ掘りに挑んだおれはその傲慢さをすぐさま悔やむこととなる。

 茶色の毛皮を身にまとい、節々から尖った葉を生やしたその姿は実に威圧的であり、もはやタケノコというよりは猪か何かが地面から生えてきているようにも見え、いつこちらに鼻息荒く突進してくるかとき気が気でない。なるほどこれが野生のタケノコかとおれはたじろぎ、隣にいる同期などは「ヒィィ」と悲鳴を上げながらもはや腰を抜かしている。取りに来たはずのタケノコを前にこの醜態、どちらが食われる側なのかわかったものではない。

 このままうかうかしているとタケノコの養分にされてしまうに違いないと、なけなしの勇気を振り絞り、おれはタケノコの頭頂部を掴む。頭頂部さえ掴めばこっちのものだ、頭頂部を抑えられて参らない動物はいない、おれは勢い込んでタケノコを引き抜きにかかる。抜けない。びくともしない。左右に揺らしても前後に揺らしてもタケノコは一向に抜ける気配を見せず、鋭く尖った葉がおれの軍手を貫通する。なんという反骨心、敵ながら天晴である。これは止むを得ぬと作業を一時中断し、隣の同期の様子を窺ったところ、野生のタケノコに頭頂部を掴まれて前後左右に揺すぶられている。タケノコほどは地に足のついていない彼のことだ、収穫され、持ち帰られ、同期の水煮にされてしまうのも時間の問題である。仕方ない、戦場に犠牲はつきものだ。

 ここでおめおめと逃げ帰るわけにもいかぬと野生のタケノコとにらみ合いを続けていたところ、颯爽と現れたのが他部署の上司のその父だ。齢八十を軽く超えるというご年配である。あいやご老人無理なされるな、ここは我々今後の世界を担う若者たちに任せてくだされとおれはいきり立ち、その諫言を気にも留めずにご年配は前へと進み出る。振りかざしたその手に握られているのは小さなクワであり、ご年配は正確無比な狙いでクワを野生のタケノコに振り降ろす。

 一撃。まさに一撃であった。古代より崇められてきたご神木のように大地に根をはっていたはずのタケノコはご年配の一撃により、あっけなく地面に転がり落ちる。その後もご年配は周囲を取り囲むタケノコにクワの一撃を加えては掘り起こし加えては掘り起こし、一騎当千、八面六臂、獅子奮迅の大活躍。この光景を目の前にしたおれの驚愕が伝わるであろうか。ドラクエで例えるならばタケノコがメタルスライムであり、ご年配が魔人斬り絶対当てるマンである。いかにメタルスライムが強固な防御力を備えていようが魔人斬り絶対当てるマンの前では無力である。ばっさばっさとなぎ倒されていく。

 やがてご年配はここら一体のヌシかと思われる莫迦でかいタケノコと相対する。その威風堂々たるいでたちはもはやタケノコではあるまい、子供と呼ぶには成長しすぎている。つまるところ竹である。竹に近いタケノコである。ドラクエで例えるならばメタルキングである。しかし悲しいかな、いかにメタルキングであっても魔人斬り絶対当てるマンの前では無力である。

 かくしてタケノコは見るも無残に刈り取られ、あとに残ったのは大量のタケノコが入った袋と、傷一つ負わないご年配と、タケノコに捕食されつくした同期の抜け殻であった。今後の世界を担うはずのおれはタケノコの入った袋を担い、ご年配の後ろをひょこひょこついていく。お父さんマジやべーっすねー、尊敬っすわーと彼へのよいしょを忘れずに。そして、哀れ犠牲になった同期に、哀悼を捧げながら。

 持ち帰ったタケノコは煮たり焼いたりして食った。まあそれなりにうまかった。

置いてけぼりの話

 泣き上戸を発症した。職場の送別会、二次会の途中から俺は鼻をすすりはじめ、店を出て解散するかというところで遂にボロボロ泣き出した。頬を涙に濡らしながらタクシーに揺られて帰り、部屋に入るや否や布団に倒れこんでひとしきりしゃくりあげ、それからベランダで煙草を二本吸った。そのころ、ようやく涙は止まった。耐えようのない衝動のようなものも薄れだしていたが、その代わり酒といまだに慣れない煙草のせいで軽い吐き気を催しており、粘っこい唾液だけを洗面台にぶちまけてからもう一度布団に入り、眠った。

 いつだったっけな、と早朝に目覚めて思う。前に泣き上戸を患ったのは。酒が入るといつも泣きたくなるわけではない。むしろかなり稀なケースだ。前回がまだ学生の時分であったのは間違いない。実家のマンションのエントランス手前にある、公園とも呼べないような小さなスペース、そこにおいてある動物の乗り物とベンチのうち、ベンチの上に横たわって、先ほどのようにしゃくりあげていた。家族に泣き声を聞かれるのはさすがに恥ずかしかったのだが、泣き場所を選べるほどその時の俺には余裕がなかったのだと思う。どんな知り合いが通りがかるかわからない場所で、俺は小一時間ばかり泣いていた。理由は、忘れた。

 今日、というか昨夜。俺は自分が泣いた理由を考える。心当たりが多くて絞り切れない。自分が未だに仕事のやり方をつかめていないこととか、同期たちはそれぞれに自分の仕事をこなし始めているらしいこととか、未だに職場では委縮してしまっていることとか、散々怒られた上司が来月から異動することとか、他部署の上司に軽い説教と励ましを頂いたこととか、いつもぶっきらぼうな先輩がアイスをおごってくれたこととか、近頃常に靄がかかったように思考が霞んでいることとか、先日縁石にひっかかってすっ転び自転車のライトを壊してしまったこととか、水泳用の水着がもう何か月もベランダに干したままにしてあることとか、ギターが部屋の片隅で埃をかぶっていることとか、昔好きだった子がどうやら結婚するらしいこととか、仲のいい友人が東京に引っ越してしまい簡単には会えなくなることとか、昔のように小説や音楽を楽しめなくなっていることとか、そして俺がいくら感傷に浸ろうが、明日からも何も変わらないということとか。些末なそれらが、きっとそれぞれに辛いのだ。

 

 書きたい、と思っている話がいくつかある。と、言いながらちっとも書き上げないのが俺の最も醜悪な点である。書いては消し、書いては消し、話の展開に詰まって放り投げ、読み返した時のつまらなさにファイルごと抹消する。分かっている。俺に足りないのは小説を書く才能ではなくそのもっと前の段階であり、言うなれば努力や根気や計画性、あと自信だ。

 全部放り出して、布団に寝転ぶ。俺は俺の空想を頭の中で反芻する。それは例えば空を塗り続ける男の話だったり、ゴミの降る街に暮らす少年の話だったり、野良兵器の上にまたがって釣りに行く少女の話だったり、右も左もわからない街に流れ着いた男の話だったりする。全く形にならないそれらを思い返していると、皆一様にある種の「置いてけぼり」を抱えていることに気付く。

 俺は置いてけぼりにされたものが好きなのだ、と思う。自分がそうされていると感じているからなのかもしれない。上司や先輩に、同期に、友人に、昔好きだった人に、本や音楽にも。俺が周囲に抱いている違和感をできる限り感傷的に表したものが「置いてけぼり」という一言になり、そしてその違和感を形にすることができない俺は、「置いてけぼり」すら置いてけぼりにする。あるいは、置いてけぼりにされる。後に何が残るのか、俺にはわからない。

 

ココアの話

 最近、頭痛がひどい。頭痛というかなんというか、鈍い痛みが顔の左側を移動する。頬骨が痛むかと思えば次はこめかみの奥がずきずき疼き、やがてそれが頭の上まで這い上ってくる、これを繰り返す。行ったり来たりで節操ない。俺の落ち着きのなさを継承したんだろうか。ペットは飼い主に似るというが、痛みが痛み主に似るという話は寡聞にして聞いたことがない。

 頭痛の一つの原因はカフェインですよ、そうネットの妖精がささやくので、コーヒー断ちをすることにした。毎日職場までインスタントコーヒーを詰めたステンレスの水筒を持っていき、春頃に美味いコーヒーを飲みたいがためにネスプレッソを買った俺がここでまさかのコーヒー離れだ。めっきり使われなくなったエスプレッソマシンが寂しそうに部屋の片隅に鎮座しているが、ここは諦めてもらうほかない。人間は誰しもが孤独と戦っている、だから、お前も。

 で、コーヒーの摂取量をできる限り減らして一週間。頭痛はだいぶマシになった。結果としては良好であったが果たして頭痛が本当にカフェインのせいだったのかどうかは不明であり、そこを詳細に明らかにするためには厳密な対照実験が必要となる。つまりは俺を二人用意し、コーヒー漬けにした俺とコーヒー断ちした俺に丸っきり生活を送らせる。同じように出社し、レポートを書き、上司に怒られ、金曜の夜には安い居酒屋で腹がはち切れるまで飯と酒をかっくらうのだ。しかし現実的に俺は一人だけで、二人いても持て余す。この案はお蔵入りだ。

 そんな感じで頭痛は落ち着いたのだけれど、如何せん口さみしい。休日、コーヒーをずるずる啜りながら読書に励むのが俺の至福の余暇だったわけだが、コーヒー断ちしたお陰で啜るものがない。他に啜れそうなものはといえばカップラーメンか鼻水くらいであり、どちらも日常的に啜るのは御免被りたい。

 そこでココアだ。液体だし、色も黒っぽい。ほぼコーヒーであると考えて差支えない。コーヒーの代替品ではなく、これは甘くてカフェインが少ないコーヒーである。そういう特殊なコーヒーの一種である。そう自分に言い聞かせながらスーパーの棚の前で森永とヴァンホーテンをにらみつけ、どちらにしたものかと悩んだ挙句にヴァンホーテンを選んだ。名前が格好いいからだ。

 部屋に帰り、マグカップに粉末をドバドバ落とす。コーヒーにしてはやけに量を要求してくるなと思いつつ、そこに低脂肪乳を注ぎ込んで、電子レンジの中に収める。ボタンを押して、あと数分待てばコーヒーっぽいものの出来上がりだ。

 電子レンジを開けたら、沸き立ったココアが電子レンジをココア浸しにしていた。

 反逆だったのだろう。俺はそう思う。コーヒーコーヒーと呼ばれ続け、自身の名前をちっとも呼んでもらえなかったココアの、ささやかな反逆。ぼくはコーヒーじゃない、正しい名前を呼んでほしい。そんなココアの心の奥底にたまった不安が、電子レンジの中で加熱されるにあたり溢れかえったのだ。

 ココアでべたべたになった電子レンジを、俺は布巾で優しく拭いた。それから机の上のマグカップに向かい、ごめんな、と声をかけた。ココアを一口啜る。温かいココアは甘く、優しく、口の中に広がった。それはまるで全てを赦してくれるかのようだった。

とりとめのない話

 最近本を読む頻度も文を書く頻度も減っている。あんまりよくないなあ、と思う。頻度が減っているから僕の表現力も御覧の有様だ。

 

 豆が好きなので、ミックスナッツをぼりぼり食う。仕事から帰ると、リュックを置き、ズボンと靴下を脱ぎ散らかし、こたつに潜り込むやいなやミックスナッツをぼりぼり食う。テレビを付け、うとうとし、目を覚ますが早いかミックスナッツをぼりぼり食う。酒類のお供にする人が多いと思うが、あれは邪道だ。酔った頭では豆の持つ甘さ、旨さ、香ばしさを正しく感知することはできない。そんなことをいう僕の部屋の玄関には発泡酒の空き缶が6本置かれており、在庫をうっかり切らしてしまったことを示唆している。
 今食っているミックスナッツはアーモンド、カシューナッツ、くるみ、バタピーというそうそうたる顔ぶれが揃っている。まさに豆類の面目躍如といった次第であるところ、話は変わるがミックスベジタブル、奴らは一体なんのつもりだ。コーン、にんじん、グリンピース。良いのは色合いばかりで野菜としては二軍ばかり。お話にならぬ。ミックスナッツに並びたければ、茄子、ピーマン、もやしくらいは揃えてこい。

 

 今朝、身体が怠かったので、体温を測った。36.4。これが摂氏なら平熱も平熱なのだけれど、いかんせん拙体温計、安物なので単位が出ない。これが華氏であったとした場合、僕の体温は97.52℃。これは便利と体温でインスタントコーヒーを沸かそうとしたところ人肌に温いコーヒーが出来上がり、ならば36.4ケルビン、摂氏に直して-236.75℃なのではないか。液体窒素よりも低い温度だ、これからおれは液体窒素製造マンとして生きていこう、そんなことを考えていたら時間が無くなったので急いでフルーツグラノーラをかっこんだ。腹を満たしたら元気になったので出勤した。みんな、調子が悪い時はご飯を食べるべきだぞ。

 

 数か月前に衝動買いしたサクマドロップスが一向になくならない。そもそも僕はあまり飴を舐める性質でなかった。しかしたまに舐めると、メロン味が結構メロンみたいな味したり、レモン味も結構メロンみたいな味したり、ハッカ味はハッカ味だったりでいろんな発見があっておもしろい。
 同じタイミングで買ったハリボー。以前からやってみたかったウィスキー漬けにしてみたが、あれは素晴らしく美味かった。一日放置するだけで、ウィスキーの香りが詰まったプルプルのグミに変貌するのだ。結構アルコールもきついのだが、1,2個食えば満足できるので、仕事終わりの一服として長らく活躍してくれた。
 思い出したらやってみたくなった、それも明日などではなく今すぐだ、と熱い気持ちにかられたのだが、今現在部屋にあるもので最も近い組み合わせを検討したところ「さやえんどうの泡盛漬け」が精いっぱいだったので、今回は採用を見送らせていただきます。今後ますますのご活躍をお祈り申し上げます。