薬味の話

 薬味が好きだ。ネギが、しょうがが、シソが、ミョウガゆず胡椒が、もみじおろしが好きだ。薬味って言葉の意味を理解していないけど好きだ。なんか薫り高くアクセントになるものとしか思っていないけど好きだ。胡椒は薬味か? 胡椒はスパイスか。パクチーは薬味か? パクチーはハーブよりな気がする。ティーになればハーブだと思うパクチーティーってあるのか? でもジンジャーティーがあるからこの理屈だとしょうがもハーブになってしまう。ダメ。あなたは薬味でいて。そんな曖昧模糊とした薬味全般が僕は好きだ。ただしパクチー、てめーはだめだ。

 薬味を乗せる。それも多めにだ。冷ややっこにたっぷりのしょうがとみょうがを。アボカドにきつめに溶いたわさび醤油を。水炊きのお椀に、ポン酢と柚子胡椒と紅葉卸を。あぶったカツオに、少しばかりのニンニクを。眠れない夜にあなたの左手の温かさを。夜明けの海にかがり火を。観客のいないコンサートに、割れんばかりの拍手を。薬味、薬味、薬味を。薬味よ、われらの世界を彩り給え。

 よく行く店。丸亀製麺と、横綱ラーメン。聡明な皆様はお気づきのことでしょう。どちらもねぎをのせ放題。トングでネギをつまみ、乗せる、乗せる、乗せる。ネギはおおむね三乗せするのが良いとされている。四では死を連想するため縁起が悪く、二じゃちょっと物足りない。
 三乗せされたネギはちょっとした小山だ。讃岐富士くらいの小山だ。それを崩す。スープ/だしに沈め、麺を引きだし、ねぎを絡めながら麺を吸う。葱の食感がアクセントとなり、うまし。また、スープ/だしを吸いこんでしなやかになじんでいくネギの経時的変化も見過ごすべきではない。当初はシャキシャキとしていたネギも、スープの手にかかればしなしなだ。入社三か月で当初のフレッシュさをもう全て奪われる新入社員のことを思わせる。へろへろの新入社員を想いながら僕は麵を吸う。葱を食う。どっちが多いのかもうよくわからん、麺を食っているのか、ねぎを食っているのか、よくわからなくなってくる。今ここで僕ははざまにいる。うどん/ネギ、ラーメン/ネギの境目に。その境界線はみなが思うほど明確なものではない。あいまいで、まじりあっている。葱とうどんが、ねぎとラーメンが混然一体となってせめぎあう領域、僕はその中に立って飯をむさぼる。葱の力場を感じ、麺のポテンシャルに足をひかれながら、その流動的な麺/ネギ界面の律動を楽しむのだ。

 食い終わってから気付く。俺が食べたのは薬味を乗っけただけのうどん/ラーメンではない。薬味とうどん/ラーメンが高度にせめぎあい交じり合う、そういった一つの領域を食べたのだ。薬味とは単なるアクセントではない。食の中に入りこみ、食のエンタメ性を呼び起こす起爆剤なのだ。薬味と食は一体なのだ。

 

 思うに人生もそうかもしれませんね。

 平常な生活=うどんに刺激ある娯楽=薬味をのせて僕らは日々をすごしていますが、この娯楽=薬味をより積極的に生活にとりこんだほうが、僕らの生活もより刺激的でおいしいものになりますものね。

 

<ドンンドンドン!! 警察だ開けろ!! いまこの部屋で、特に意味のない話を無理やり人生に結び付けて教訓を得ようとしている奴がいるという通報が入った!!

 

 警察が来ました。ぼくはここまでです。ありがとうございました。